表現者とは、その表現を受けとめる人がいて初めて成り立つもの
葉月さんのブログのコメントの中で、N郎♪ブログを読み、誠実さが伝わってくるという有難いご意見をいただいた。大概人って自分のことはよく見えていないもので、他人から指摘されてハッとする。「誠実さが伝わってくる」 というのは大変有難い評価であるのだが、それと同時に、ああ〜、いつも人から見られてるんだ(評価されてるんだ)という、手を抜けないある意味厳しさも感じた。
音楽活動にしろ何にしろ、表現活動を行っているならば、人から見られてるという意識はとても重要なことだ。見られている=評価されているということは、良くも悪くも、表現者にとって、表現者であるという自覚を与えてくれる。ブログに書いてあることがつまらなければ、表現者として烙印を押されるだろうし、逆に何かしらの感動を与えるような要素があるならば、表現者として評価されることだろう。
そしてこれは重要なことだが、表現者は表現者だけでは成り立たないということも、あらためて感じた。つまり、表現者とは、その表現を受けとめる人がいて初めて成り立つもので、ライブで言えば、演奏者だけがいてもライブは成り立たず、そこにお客さんがいてはじめてライブが成立するのと同じことだ。「誰も一人では生きられない」とはよく言われる言葉だが、表現者も同じで、その表現を受け止めてくれる人、評価してくれる人がいてはじめて表現者として生きていくことが出来る。
音楽をする者にとって音楽活動はいつまで続くのか考えたとき、一人でも音楽を聴いてくれる人がいるならば、その活動は続くと思う。そして以前書いたことがあるように、表現者の使命とは、その表現によって、人に感動を与えることではないかと思う。受け手が評価し、はじめて成り立つものだということは自明だ。
表現を受け止める人がいること、そしてその受け止める人が評価してくれること、そのプロセスこそが表現者に表現者として価値あるアウトプットを出させるモチベーションとなる。 「N郎♪」 が 「N郎♪」たりうるのは、そう評価してくれる人いるからこそであり、この記事を書くきっかけとなった葉月さんはじめ、あらためて自分の表現活動、音楽活動を評価し、支えてくださっている皆様に感謝する次第だ。
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