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自作詞の背景 「アライヴ・イン・ザ・セイム・タイム」(3)
(前回からの続き)


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「アライブ・イン・ザ・セイム・タイム」の歌詞は、国家権力、戦争、そしてそれに翻弄される人々について描いている。歌詞を考えている時、つくりごとではない、実際にあったことを詞にしようと考えた。そして見つけた記事がアムネスティの以下の記事だった。


ソマリア:著名な平和活動家の殺害

平和的に活動していたElman Ali Ahmed が殺害された件につき、アムネスティは、この殺害事件が超法規的殺害ではないかと考え、非難するものである。彼はアイディード将軍派が占拠する街中の自宅近くで、3人の武装した男たちによって背後から撃たれて殺害された。彼の殺害は、ソマリアでは、「誰も無事ではいられない」ということを証明している。彼はこれまでにも殺害の脅しを受けており、国を後にする覚悟だったともいわれる。彼の葬儀に参列したアイディード派の代表は、同派が殺害に関与したことを否定した。Elman Ali Ahmed は武装集団にいた人々を平和的な活動に従事させるための研修所をつくり、また孤児たちの世話もしていた。車の修理屋として家業にいそしむかたわら、地元サッカーチームの世話をし、道路に電気を引くのに協力したりもした。平和的な活動を指導していた彼は、武装闘争を止めようとしない政治家たちを常に非難していた。4人の娘たちの父親でもあった。
アムネスティは、同地を支配するアイディード将軍派当局に対し、彼の殺害につき、独立した中立的な調査をおこない、その結果を公表するように求めている。


●転載元 ソマリア:著名な平和活動家の殺害(アムネスティ国際事務局1996年3月18日付発表)

この記事を元にし、 「アライヴ・イン・ザ・セイム・タイム」 1番の歌詞は作られた。

過去には、1990年の湾岸戦争をきっかけとした曲(「国家と人と」)を作ったことがあった。学生だった当時書いたその詞の一節には次のような歌詞が書かれている。

空襲を受けるバクダットでの母親と子供の叫びが聴こえる
天安門の前で死んでいった学生たちの声が聴こえてくる

歌詞としての完成度どうこうの次元ではなく、書かずにはいられない衝動、取り上げずにはいられない衝動、理不尽なものに対する怒り、家族を殺されていく人たちの悲しみを想起し、根源的な衝動として作品は作られた。

それから10数年たち、同じようなテーマの歌詞を書かなければならないこの世界の状況。
であるのなら、アーティストはそういった詞を書き、歌い続けることが表現者としての誠意ではないかと思うのだ。

自分がこれまで生きてきた時代、そして生きている時代を考える。日本のメディア状況からは見えにくいのかもしれないが、そこには国家のエゴイズムに翻弄され、家族を殺され、人生を破壊される無数の人たちがいる。今、この時もいる。近年、9.11、そしてそれに続くアフガン戦争、イラク戦争・・・そんな大事件を目の当たりにし、同時代に生きている者として、あらためてそんなテーマを描かないわけにはいかなかった。このようなテーマを扱わずに、一体どんなテーマを扱えというのか・・・それが表現者として自分の当然の感覚であった。

(この話、つづく)


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 23:24 | トラックバック:0コメント:0
自作詞の背景 「タウンウォーカー」(1)
土曜の夜、バンドの練習をしながら6月のアウフヘーベンライブで演奏する予定の「タウンウォーカー」を歌っていて、その歌詞の内容に思わずグっときてしまった。そんな箇所が数箇所あったのだが、まさかこの歳になって21のころ書いた 「タウンウォーカー」 の歌詞に勇気付けられるとは思ってもいなかった・・・。

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(写真 http://tamagazou.machinami.net/ )

学生だったころ、街と言えば「大宮」だった。落ち込でやるせない気持ちの時は、よく大宮の街をぶらついて気分を晴らしたものだ。東口も、西口も、大宮の街には様々な店が立ち並び、お気に入りのスポットもあった。そんな自分を描いたのが「タウンウォーカー」の歌詞であり、 「大宮」 にかかげる歌でもある。今はほとんど利用することがなくなったが、自分にとって「大宮」は愛すべき特別な街だ。

大宮の街も、詞を書いた当時からいろいろ変わった。「タウンウォーカー」の歌詞の中に出てくるスポットで、もはやなくなってしまったスポットもある。しかし 3/2の記事で書いたように、大宮の街は今も健在だ。

(次回へ続く)



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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
自作詞の背景 「ゆうべみた夢」
自分の実感として、地下鉄サリン事件が起こった1995年ごろから社会の先行きの暗さが大きく表に出てくるようになった気がする。それまで昇り調子だった経済は下降をはじめ、未来への希望が持てない、そう思う人が増えていったのではないだろうか。しかしそれでもどうにかして生きていかなければならない・・・そんな現実と、誰もが日々対峙している。

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アコースティックギター1本で弾き語る、そんなスタイルは実は自分の音楽の原点でもある。シンガーソングライターと呼ばれるアーティストの歌を聴き、その影響を受け、詞を書き、歌を歌いだした。書いてきた詞の内容は自分自身へのメッセージ、そして世の中のことだった。

自分が聴いてきたアーティストたちも、その原点は吉田拓郎らであり、さらにさかのぼるとボブ・ディラン、そしてウディ・ガスリーのようなフォーク歌手にたどりつく。

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ウディ・ガスリーは貧困や差別などに翻弄される労働者らの感情を歌にして演奏した。

歌とは時代、そして社会とともにあるというのは、ウディ・ガスリーが生きた時代も、そして今、自分がアコースティックギターを抱えて歌おうとしている時代も同じではないかと思う。

アコースティックN郎♪、最新作サンプル音源、聴いて欲しい。

●楽曲はN郎♪音源ライブラリにて試聴出来ます。



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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
自作詞の背景 「あなたとは争う意味がない」 (3)
(前回からの続き)

この歌は一番最初にシンセサイザーを使って楽曲を作成したのだが、それ以降、さまざまな形態・さまざまな場所で演奏をしてきた。アコースティックギター、カラオケ形式、ロックバンド・・・そして今度のライブではまた新たな形態、新たな場所で演奏をすることとなる。

自分が音楽活動を続けている理由の一つに、他でもない、この曲を演奏したいからというのがある。第1回で書いたように、これまで一番苦しかった時に書いた曲であり、特別な想いがある曲だ。

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( Photo by (c)Tomo.Yun )

そして、この曲を作るきっかけとなった人に、いつかまた、どこかで、この曲を聴いてもらいたい・・・そんな思いもあって、音楽を続けている。

人は長く生きていればその分、多くの人と出会うことだろう。しかし、誰にとっても、出会ってきた人の中には特別な思い出がある人がいるにちがいない。いい思い出かもしれないし、悪い思い出かもしれない。しかし、その人の人生の中で、欠くことの出来ない、そんな思い出。

時を重ねていくにつれ、人と出会うにつれ、そんな特別な記憶も薄れていくことだろう。ただ、その思い出が、途切れたままの思い出であるならば、逆にその人の心の中にいつまでも残り続けているものなのかもしれない・・・。

この歌を歌う時、今となっては純粋に一つの楽曲として、音楽的に歌うことのみが頭の中にある。しかし、ステージでこの歌を歌う時は、それが途切れた思い出の片鱗に触れる機会であることは間違いない。


(次回へ続く)


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自作詞の背景 「あなたとは争う意味がない」 (2)
(前回からの続き)

この歌の歌詞は男性から女性へのメッセージとなっている。しかし意外であったのは女性の感想として 「今の自分の気持ちにぴったり・・・」 そんな感想が何度かあったことだ。女性がこの歌を聴いてどういった感情が働くのか想像するのは少し難しいが、意思の疎通を望んでいるが出来ない男性のことを思い浮かべるのかもしれない。

男性からもこの歌が好きだという意見をよく聞く。アウフヘーベンのドラマーヨコタさんもその一人で、よく 「あなたとは~」 と口ずさんでいる。同じ男性だから、男性の感情はだいたい想像がつく。女性を好きになっても必ずしもその感情が実るわけではなく、逆に実らぬ恋のほうが多いのかもしれない。

恋愛は難しい・・・誰もがそう思ってきたのではないだろうか? 古今東西、恋愛感情は人から冷静な判断能力を奪い、時に人を狂わせ、不幸な結末を招いたりもする。今、仮に意志の疎通がうまくいっている異性がいるとするならば、とても幸運なことだと思う。同時に、失敗を繰り返しながらも経験を積み、学んでいけば、そこにある真理に気づくことも出来ると思うのだ。

かつてこの曲をネットで掲載するにあたり、紹介するために書いた文を以下に転載しよう。


人は希望と失望とを繰り返し、
思いどおりにならぬその波に流されながら、
生きるという行為を体現させているのかもしれない。
経験を重ね、その波の動きを静かに読むことができようになるならば、
希望と失望とのギャップに押し流されることもなく、
いつかその海を泳いでいくことが出来るようになるのかもしれない。
現実という荒波を乗り越えてきた人であるならば、
失望を恐れていては道は拓かれないことを知っている。
そして希望に出会ったのなら、
記憶の中にしっかりとその希望を刻みこんでおかなければならないことも知っているだろう。

失望の波に呑み込まれ、何もかも見失ってしまった時、
その希望を思い出すことが出来るように・・・・・。

恋愛という感情を言い表すならば、それは希望と失望とにあふれ 、
人としての本質が最もよく表された感情の波と呼べるのかもしれない。
人と出会い、そして人と別れ、喜び、そして悲しみ・・・

ただ、その波の中で、「今」という、その命の時間をリアルタイムに実感出来る瞬間があったならば、
それはその人の人生にとって、きっと幸運なことなんだろうと思う。


(次回へ続く)


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 23:59 | トラックバック:0コメント:4
自作詞の背景 「あなたとは争う意味がない」 (1)
自作曲を作る時、歌詞を考えるのに苦労するという意見は多い。自分も歌詞を書くのにはさんざん苦労し、試行錯誤しながら1曲の歌詞を仕上げる。しかし、この曲だけはほとんど苦労なく歌詞を書いた。そのときの自分の願いをイメージし、ひらめきだけでそのまま書いためずらしい例だ。

しかしこの歌は、苦労なく歌詞を書いたのとは対照的に、個人の感情としてこれまで一番苦しんだ時に書いた歌詞なのかもしれない・・・。

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(写真 Hoshino.com)

記録を調べてみると歌詞は 1995年5月に書いている。少し前には「滅亡への序曲」 を書いていて、その年は数多くの歌詞を書いた年でもあった。

ソングライターが歌を作るとき、そこに個人的な感情が込められたなら、どんな歌も作り手にとっては大切な歌となる。自分もその時代その時代で作ってきた歌は、どれもがかけがえなく大切な歌だ。
そんな大切な歌の中でも、この歌のようにさらに別格の歌がある。作品の完成度や出来不出来にかかわらず、特別な思いがある歌だ。

(次回へ続く)


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 23:59 | トラックバック:0コメント:2
自作詞の背景 「アライヴ・イン・ザ・セイム・タイム」(2)
(前回からの続き)
レッド・ツェッペリンの曲について、作者のクレジットを見ると、「Page and Plant 」・・・つまりジミー・ペイジとロバート・プラントの名前が記載されている場合が多い。

その音楽を聴くと、ギターのリフやフレーズが曲の骨組みを成しており、プラントのボーカルはその上に乗っかているような形だ。 「天国への階段」 「ハート・ブレーカー」 「幻惑されて」 「レイン・ソング」 「カシミール」 「アキレス最後の戦い」 ・・・彼らの代表曲の多くがこのパターンではないだろうか。

楽曲の主役はあくまでもペイジのギターであり、プラントのボーカルはギターに対する 「従」 であって、必然としてボーカルのメロディーラインはいまひとつの感が否めない。世界最大のハードロック・バンドでありながら、歌メロを重視する日本での知名度が見合ってない理由の一つであると思う。

この曲 「アライブ~」 の歌メロも作り方は同じであった。歌メロ以前にジミーのギター&リズムセクションが既にあり、そこにインパクトある歌メロを乗せるため散々試行錯誤した。


それなりに適当な歌メロを乗せるのならいくらでも出来る。しかし、それでは歌メロの存在意味がない。昔ツェッペリンの 「レイン・ソング」 をドラマーのヨコタさんと一緒に聴いた時、ヨコタさんがぽつりと言った言葉が頭から離れない・・・ 「ボーカルとドラムがいらねーなー」 。初めて聴いた人に、同じように呟かれないようにしないと・・・・

バッキング先行の問題に対する解決方法の一つが、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンであった。フレーズを重視したハードロックに対し、ラップ調の歌を乗せるという手法はハードロックの歴史を考える上で必然的な帰結であったのかもしれない。


Evil EmpireEvil Empire
(1996/04/18)
Rage Against the Machine

詳細

レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの傑作アルバム。Evil Empire(悪の帝国)とは米国のことであり、あまりに核心を突いた歌詞に、9.11後には放送自粛となる。


レイジの曲について、過去にバンドでコピーをして人前で演奏をしたこともあった。ジミーから 「ラップみたいな感じでいいです」 という助言もあって、その路線は決定した。しかしすべてラップというのは好きではなく、この曲にはコード進行もあって、メロディーラインもある。ラップ+歌メロのミックスパターンでいくこととし、そしていよいよ歌詞を決定していく作業に入ることとなる・・・。

(次回へ続く)


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 19:48 | トラックバック:0コメント:4
自作詞の背景 「サブウェイズメモリー」
記録を調べてみると、この曲の歌詞を書いていたのは1996年の5月ごろのこと。その前月、自分は事故で兄を亡くしていた・・・。

歌詞は失恋の心況を描いたものだが、それと同時に、人の 「孤独」 について触れているのは、兄を亡くし、残された家族の虚無感を歌詞の中に含めたかったからだ。

「地下鉄のうた」 とも呼ばれるこの曲、イメージはズバリ 「銀座」 だ。
もともとの発想は別の地下鉄駅なのだが、歌詞を考えている時、頭の中にはしっかりと 「銀座」 のイメージがあった。

「銀座」 は好きな街だが、いつぐらいからそうなんだろう~と思い出してみる・・・それは恐らく亡くなった兄・・・絵を描いていた・・・と一緒に銀座の画廊めぐりや映画を観たりしていたぐらいからなのではないかと思う。

夜がはじまるころの 「銀座」 の街を歩くと、街の美しさと雰囲気に胸高鳴り、その高揚感がたまらなく好きだ。しかしそんなふうな 「銀座」好きになったのはこの歌詞を書くずっと後になってからであり、つじつまが合わない。当時は新宿のほうがなじみの街であった。恐らく 「銀座」のことはよくは知らなかったのだが、少ないイメージの中でも強く印象付けられたのだと思う。


夜の銀座の路地には特別な雰囲気があり、好きだ。2002年撮影

友人から 「『どうでもいい』って言っている歌」 とも呼ばれる。
しかし 「どうでもいい」 といのは、 「どうでもいい」 と思えないからこそ敢えてそう思おうとうするのであり、そこには失恋心理のパラドクスがある。でも、たとえ失恋したと感じても 「どうでもいい」 なんて思うのは建設的ではないよね・・・・今ならそう思う(笑)。

バッキングに関しては左右に2つのサックス音を入れて、メロディーを盛り立てる効果を狙った。2番の後に、異なるリズムとピアノ音を数小節入れたのもポイントで、その間奏部を聴くたび、失われた日々の回想が浮かんでくる・・・。

以前書いたこともあるが、自分でいうのもなんだけど、大好きな曲だ。

●楽曲はN郎♪音源ライブラリにて試聴出来ます。


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関連過去ログ
●銀座・ハナミズキ

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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 10:31 | トラックバック:0コメント:10
自作詞の背景 「アライヴ・イン・ザ・セイム・タイム」(1)
2007年2月24日、バンドの久しぶりのライブのため東武伊勢崎線・越谷駅に降り立った。東口のボックスで30分ほどボーカルの調整を行った後、ギタリストの Jimmy と西口で待ち合わせ、会場となる 「メンフィス」 へと向かった。歩きながら Jimmy に 「最高の詞をFIXさせることが出来た」、そう伝えた。かなり風の強い日だった。

この日のライブのため、自分は3曲の歌詞をFIXさせる必要があり、なんとかライブまでにFIXさせた。

1曲は「ニュートラル・ドライヴィング」・・・ファンの多い 「人生とはまるでジンジャーエール 気が抜けてしまえばただしょうが味砂糖ウォーター」 のくだりは確かライブ前日に決定したと思う。本当は 「ジンジャーエール」 ではなく 「ビール」 にしたかったのだが、メロディーに対する言葉のはまり具合から 「ジンジャーエール」 を選んだ。

さらにハードロックメドレーをサンドイッチする形のメンバー紹介の曲は、その前年に観たボブ・ディランのドキュメンタリー映画「ノーディレクション・ホーム」 をフューチャーする歌詞となった。


何度も紹介している以下のドキュメンタリー映画。傑作。

ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホームボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム
(2007/05/25)
マーティン・スコセッシボブ・ディラン

詳細


そして後もう1曲が 「アライヴ・イン・ザ・セイム・タイム」。現在、アウフヘーベンライブのトップを飾っている曲だ。


曲自体は相当以前に出来ていたと思う。正確な記録を調べないと確かなことは言えないが、バンドは少なくとも 2000年~2001年 の間は活動を行っておらず、その活動休止前に既に完成していた曲だ。

Jimmyが作曲したもので、ジミー・ペイジ大好きギタリストらしく、レッド・ツェッペリンのエッセンスを十二分に受け継いだハードロックとなっている。・・・しかしボーカルのメロディー、そして歌詞は未完であった。

バンド活動再開後、しばらくは洋楽ハードロックの名曲の演奏、そして曲作りのためのセッションを繰り返していた。そんな中、未だライブで陽の目をみていないその名曲を Jimmy は提案し、バンドでやることとなった。

(次回へ続く)


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 22:12 | トラックバック:0コメント:2
自作詞の背景 「ハート」(3)
(前回からの続き)

厳冬期も終わりに近づいたころ、「ハート」のバッキングがほぼ完成し、仮ボーカルも録音した。しかし間奏部分の音がどうもまだ足りなかった。ストリングスで主旋律を構成したのだが、それだけでは弱い。・・・というわけで、アウフヘーベンのギタリスト、Jimmyにお願いし、ギターソロを入れてもらうことにした。Jimmyにはかつて「バンドの練習が始まる時刻を待ちながら」でもギターソロを入れてもらったことがあり、その出来のよさに感激したことがある。


「ハート」2番の歌詞は時間を遡った描写となる (写真 Hoshino.com)

「ハート」が録音されたデジタルMTR KORG D12 を抱え、寒い中、モスバーガーでMTRごとJimmyに引渡したのを覚えている。一度ギターソロを録音してもらって D12 は戻ってきたのだが、その後、完成のタイムリミットが延びたこと、また、本人が満足いかないということもあって、もう一度録音し直してもらうこととなった。

再録音した甲斐もあり、ギターソロ部は期待したとおりの素晴らしい出来となった。かなり苦労したらしいが、本人も満足のいく出来でっあったと思う。「ハート」の間奏部は、Jimmyのギターソロ、そして元からのストリングス旋律の2重のソロがサンドイッチする形となり、狙っていた以上の出来栄えとなった。以下に「ハート」をリンクしておくので、これまでの話を併せながら、その楽曲を聴いていただきたい。

●楽曲はN郎♪音源ライブラリにて試聴出来ます。


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 23:59 | トラックバック:0コメント:4
自作詞の背景 「ハート」(2)
(前回からの続き)

人の行動の原動力となるもの・・・何もいいことばかりがそうなるわけではなく、逆に悪いこと、良くないことのほうが人を行動に駆り立てたりするから不思議だ。詞を書き、曲を作るという行為も同様で、いい時よりも逆に悪い時のほうがいい詞が書けたりする。人は良くない時こそ、物事を真剣に考え、良くないと思える状況をひっくり返すため、本気になり全力を尽くす。考えてみれば自分の書いてきた詞について、いい詞と思えるような詞は必ず悪い時に書いてきたような気がする。自分のことばかりではなく、世の中の状態が良くない時には世の中のことを歌い、戦争の悲しみが深まれば戦争の悲劇を歌い、友人が良くない状況の時には友人のための歌を作り・・・

「ハート」の歌詞についても確かに良くない心理状態のときに作った歌詞だ。ただ、この歌詞については自分の他の詞とは異なり、メッセージ性がない。歌詞にしたのは「状況」と「感じたこと」。思い出してみると、なんらかのメッセージは込めたかったのだと思う。良くない心理状態をなんとかしようというような。しかしそこには言葉を超えた人の心理状態があり、それに対して主張することは無理・・・そう諦めた。自分のポリシーに反することであるが、長く生きていれば「無理」だとか「どうしようもない」と思えるようなことにも何度か出会うものだ。しかし逆にその「どうしようもない」ものがまさに「ハート」であり、結果的にそれが曲のテーマとなった。輪郭が明確な歌詞となり、完成度は高いと思う。

核となる言葉は2番のサビに込められている。いいとか悪いとか、そういったことではなく、今、ここに歴然と存在している「ハート」があり、そして自分がいる。
・・・果たして「ハート」は空に放たれたのだろうか?

(次回へ続く)


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| N郎♪ソング(自作詞の背景) | 01:28 | トラックバック:0コメント:2
自作詞の背景 「ハート」(1)
毎年この時期になると思い出す。1月~2月と厳冬の中、楽曲「ハート」のバッキングを作成し、そしてミニアルバム『ハート』収録の曲を録音した2002年はじめのことを。今は故障して使えなくなった愛機 KORGi3 のソングモードとバッキングシーケンスモードを駆使してバッキングを完成させ、MTRを抱えて時間を見つけてはカラオケボックスやスタジオへ通った。自分でもよく仕上げたと思う。

寒かった~。楽曲「ハート」のアレンジには氷の世界のようなブレス系の旋律を一部入れているが、あんな感じになったのはその時の季節と無縁ではないのかもしれない。バッキングの作成はほとんど深夜作業だったからなおさらだ。

もともと「ハート」のベースとなった曲の打ち込みは間奏部分まで作っていて、間奏部分のストリングス主旋律もほぼ出来あがっていた。しかしそこから先をどう2番につなげるか決定できず、未完成のまま放置していた。歌詞も中途半端だった。実はそれ以前にバンドのライブでも演奏したことがあったのだが、サビの歌詞は出来ていたものの、詞として価値あるものはほぼその部分だけだった。いつか真面目に詞を作り直そうと思い続けていたのだが・・・・。

その機会が訪れたは2001年の秋~冬のことだった。「ハート」の歌詞の1番の情景描写は2001年「11月最期の金曜日」晩秋の光景をイメージしたものだ。その年は晩秋の街路樹があまりにも美しく、日が沈んだ直後ぐらいの幻想的な光景は今でもよく覚えている。

(次回へ続く)


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N郎♪

Author:N郎♪
秋葉原・秋田犬など、東京、埼玉中心に活動中。他ロックバンド・アウフヘーベンのボーカリスト。レギューラー番組、ぷち FM897 すみだリヴァー 隔週月曜22:00~『N郎♪ MusicHourハイビスガーデンスペシャル』
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ありがとう2020 ~ 埼玉100箇所撮影


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馬場孝幸プロデュース作品
57分 ZA-10040   zarya misic community
税込価格 1,500円  2014.1.25 発売
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