2007年6月末のごあいさつ
日が変わり、6月最期の日となったが、今夜は久しぶりに夜空が晴れ、月がきれい・・・

空白期間

今月を振り返ってみると、ブログのカレンダーにあるように真ん中にポッカリ穴が空いてしまっている。先日書いたとおり、仕事が忙しく思考に余裕がなかったからだ。その期間は単にブログが更新できなかったというだけではなく、生活や活動の多くに影響を与えてしまっていて、よろしくない。こんな期間が発生すると、それまでの思考との断絶が発生してしまい、「何かしらを継続することの難しさ」に直面する結果となってしまう。しかし、かといってこういった期間は必ず発生するから避けて通ることもできない。

・・・ということはつまり、そんな思考に余裕がない期間があったとしても、生活や活動のペースをうまく制御しろということなのだ。これはある種の技術と言ってもいいだろう。その技術を高めていけば、状況に翻弄され、不本意な結果となってしまうということを減らせられる・・・・かな(笑)

例えば以前書いた再スタートすることもその一つだろう。見境のない期間が終わったなら、再びそれ以前に戻り、再スタートする。そのプロセスが絶対に必要なのだ。・・・というわけでエンジンをかけ直し、再スタート。

9.11、そして今

ジョン・レノンの暗殺の話から派生して、9.11関連をしばらく取り上げているが、映像を観たり、本を読んだりしながら、かなり辛くなった。命を奪われ、五体を欠落させられ、家族を殺され、そんな悲惨な状況に置かれてしまった人たちの悲しみにやるせない気持ちでいっぱいだ。そしてそれと同時に、現在の日本は平和な国であり、自分は運がいいのだろうとも思った。この日本に生きる人たちも、つい60年ほど前までは加害者として、被害者として、悲惨極まりない状況の中で生きざるおえなかった。今のような平和が続いているのは、東アジアの情勢もあり、そして憲法9条があってこそだとも思う。憲法9条を憎み、堂々と戦争が出来る国にしたい人たちは、それがどれだけ悲惨なものであるのかわかっているとは到底思えない。コストの面でもそうであり、戦争にかかる莫大な費用はすべて税金で賄われ、軍事費が増えれば増えるほど、他の予算が削減されるのだ。現首相の標榜している「美しい国」とはそういう愚かしく悲惨な国のことを指していると思ってよい。来月は選挙もあるが・・・


7月となるが・・・

戦争やテロに翻弄される様々な国の人たちの人生、生き方、そして死を読み進めながら、自分自身の存在意義、生き方について顧みないわけにはいかなかった。慌しい日常生活の中、そんな根源的な部分について顧みることはそう多くはないだろう。であるなら、そんな月であってもいいんじゃないかと思う。

・・・というわけで本月はお世話さまでした。来月が皆様にとってよき月となることを願っております。よき月とは??・・・





| 方向性のある雑感 | 00:46 | トラックバック:0コメント:4
ノーム・チョムスキー 『9・11 アメリカに報復する資格はない!』
9・11―アメリカに報復する資格はない! (文春文庫)9・11―アメリカに報復する資格はない! (文春文庫)
(2002/09)
ノーム チョムスキー

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言語学者ノーム・チョムスキーの9.11発生直後に行われたインタビューをまとめたもの。彼の視点は明確であり、偏見に曇ることなくフェアであるがゆえに、その発言に驚かされてしまうことが多い。例えば以下のような発言だ。

「世界の大半において、米国が、充分な根拠をもって「テロ国家の親玉」と見なされている事実を認めるべきである。例えば、1986年に米国は国際司法裁判所で「無法な力の使用」(国際テロ)の廉で有罪を宣告されたうえ、米国だけが、すべての国に国際法遵守を求める安全保障会議の決議に拒否権を発動した」

このような事実に基づいた極めて真っ当な意見に驚いてしまうということは、逆にいうと、我々が日々接しているマスメディアの視点がいかにアンフェアで偏ったものであるのかということだ。9.11については誰でも知っていることだろう。しかしレーガン政権下で米国がニカラグアにしてきたこと、クリントン政権下でスーダンのアル・シーファ工場を爆撃し、その結果どれだけ多くの罪なき命が奪われることとなったか知っているだろうか?その工場はスーダン国民が薬品を手に入れるための命綱であった。(詳細については以下のサイトなどを参照していただきたい。)

●リンク:チョムスキーの「反テロ戦争」批判

マスメディアによって情報が選別され、不都合な事実が広まることが抑制され続けているからこそ、受け手の偏見は偏見のまま解消されることがない。日本の侵略について、いまだに中国や韓国で怒りが渦巻いていること、米下院外交委員会が従軍慰安婦問題に関する決議案を可決したことなど、多くの日本人は「何のこっちゃ」と違和感を持っていることであろう。しかしその違和感は、不都合な事実が広まることをマスメディアが抑制してきた結果でもあるということを我々は知るべきだ。日本が近隣諸国でしてきたこと、そして現在までの日本の状況をよくみてきた人であるならば、ある人が「違和感」と感じていることを、当然の結果として受け止めていることだろう。

彼はまた、「テロ」という言葉について、次のように述べている。

私は「テロリズム」という言葉を米国の正式文書に定義されている通りに理解している。「政治的、宗教的、あるいはイデオロギー的な目的を達成するため、暴力あるいは暴力の威嚇を、計算して使用すること。これは、脅迫、強制、恐怖を染み込ませることによって行われる」この -どこからどこまでも至当な - 定義に合致する、最近の米国への攻撃は、紛れもなくテロ行為であり、事実、人に恐怖感を起させるテロ犯罪である。

そしてさらにその言葉が、通常は恣意的に使われてばかりいることにズバリ言及している。

 テロと言う言葉について言えば、米国の正式文章から引用した字義通りの意味と並行して、プロパガンダ的な使い方もある。残念なことに、こちらのほうが標準的である。敵によってわれわれあるいは同盟国に対して行われたテロ行為を指すのに使われる。こうしたプロパガンダ的な使い方が事実上、普遍的なのだ。万人が「テロを非難する」のはこの意味である。ナチですら、テロを厳しく非難し、彼らが「対テロリズム」と呼んだ作戦行動をテロリストのパルチザンに対して実行している。


余談ながら、本書の最期には付録として「世界のテロリスト集団」という、米国国務省の報告が掲載されている。2001年10月の報告書の中で、世界のテロ集団28団体の中に日本のオウム真理教が含まれていることに驚いた。米国国務省が認定しているということは、当然CIAなども認識しているということなのだろう。


| 911、そしてそれからの世界 | 00:17 | トラックバック:1コメント:0
ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン著 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』
9・11生死を分けた102分  崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言 9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン 他 (2005/09/13)
文藝春秋
詳細

本書は超高層ビル内でその日を体験した多くの証言によって構成されている。直接の体験者でなければ語れぬ悲惨な状況に、次の展開が気になるのと同時に、読んでいてかなり辛くなった。

北ビルへの最初の航空機突入。燃え盛る上層階から逃げ場を失い、苦しさに耐え切れず自ら飛び降り死んでいく人たち、それを目の当たりにする人々。そして予想だにしない2機目の南ビルへの突入、動かないエレベーター、塞がれた避難階段、崩壊する南ビル、救助作業に疲れ果て、南ビルの崩壊を知らないまま北ビルで休息している消防隊、続いて崩壊する北ビル・・・。

表紙写真にあるように、ビルの中、特に高層階は地獄絵さながらであり、救いがない。本当に悲惨なことだと思う。

・・・しかしこれだけ綿密に取材し、年月をかけてたくさんの証言を集め、高い完成度を誇りながらも、読後、本書に対して疑問を抱かずにはいられない。世界貿易センタービルの当時の清掃員であり、事件後英雄となったウィリアム・ロドリゲスの証言にあるように、北ビルに航空機が突入する前に地下で爆発があったという証言がまったく掲載されていないからだ。他の階でも爆発があったというようなビル崩壊の原因に対する疑惑についても何一つ言及されていない。建築構造が火災にもろいものであったということは何度も言及されている。

これらが意図的なものであるかどうか定かではないが、少なくともこの本だけを読んでいるならば、ビル崩壊の原因に対して疑問を抱くことはないだろう。内容の完成度が高いだけに、高度なレベルでクエスチョンマークのつく本でもある。

| 911、そしてそれからの世界 | 00:44 | トラックバック:0コメント:0
マイケル・ムーア監督 『華氏 911』
華氏 911 コレクターズ・エディション 華氏 911 コレクターズ・エディション
ドキュメンタリー映画 (2004/11/12)
ジェネオン エンタテインメント
詳細

様々な評判のわりには極めて真っ当なドキュメンタリ映画だった。よく出来ていると思う。

どのシーンが最も印象に残ったか?・・・そう訊かれたら、米国の攻撃で悲嘆に暮れるイラクの一般市民、我が子を戦場で失った米国の母親の嘆き、そういったシーンを選ぶだろう。

マイケル・ムーアが胡散臭いとか、そういった理由でこの映画を最低評価するような感想を見かけることがある。しかし、そういった人たちはこの映画の一体どこを観ているのだろうか?人の心があるんだろうか?・・・そんな疑問を感じざるおえないぐらい真摯な内容であり、最低評価を下している側にこそ胡散臭さを感じてしまう。米国人で盲目的な共和党支持者というのならまだ意味はわかるが。これは正当な評価であり、それ故にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したのであろう。

5月の浦和での憲法集会の際、ジャーナリストの堤未果氏は、米軍のスカウトが貧しい若者を米軍に呼び込む手口について語っていたが、まさにその映像が記録されていて興味深かった。まったく堤未果氏の話のとおりであった。

米国の格差社会や戦争の構造が極めてわかりやすく凝縮されており、一つの作品として完成度は高い。一度観てみるべきだと思う。


| 911、そしてそれからの世界 | 00:41 | トラックバック:0コメント:0
芝生瑞和 著 「テロリスト」がアメリカを憎む理由
「テロリスト」がアメリカを憎む理由 「テロリスト」がアメリカを憎む理由
芝生 瑞和 (2001/11)
毎日新聞社

詳細

2001年9月11日に発生した米国中枢テロ。その背景にあると思われる中東情勢について、極めてわかりやすく書かれた本だ。シオニズムから始まり、英国が中東にしてきたこと、イスラエルの成り立ちと米国との関係、そしてオサマ・ビンラディンの登場・・・漠然としか理解していなかった中東の歴史についてかなりクリアに理解することが出来た。

筆者は「テロリスト」という呼称について、敢えて「」をつけて表現している。”ある人にとっての『テロリスト』は、他の人にとっては『自由の戦士』だ”・・・ロイターの国際ニュース責任者ステファン・ジュークスの言葉を借りて解説しているように、「テロリスト」という呼称は、権力によって極めて恣意的に使われ続けてきた。「テロ」との闘いを標榜する米国の大統領が、実は世界最大のテロを行い続ける最高責任者であるという倒錯した現実を目の当たりにしている今、極めてフェアな視点であると思わずにはいられない。逆にいうと、マスメディアによって日々垂れ流されている情報が如何にアンフェアなものであることか・・・。

あとがきの日付は2001年10月26日となっている。9月11日から40日強しか経っていないにもかかわらず、これだけわかりやすくまとめられた本が刊行されたということに驚きを覚える。2年前に他界した著者の芝生瑞和氏について、日本社会は大きな人を失ったと思わずにはいられない。

| 911、そしてそれからの世界 | 02:11 | トラックバック:0コメント:0
このごろ読んだり観たりしているもの
前回「思考に余裕がない」・・・好ましからざる状態について書いたが、その間、いくつか本を読み、またDVDで映画も観た。いずれも9・11に関連するものだ。以下。

・芝生 瑞和著/「テロリスト」がアメリカを憎む理由/毎日新聞社
・ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン著/9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言/文藝春秋社
・マイケル・ムーア監督/華氏 911 /ジェネオン エンタテインメント

これらの他、現在9・11に関して読み中のものもあり、機会をみて紹介していきたい。

もう6年近くも前になってしまったが、2001年9月11日に米国で発生した大事件、そしてそれに続くアフガニスタンやイラクでの戦争。本を読み、映像を観るにつけ、リアルタイムで同時代を生きている者としてやはり大きく考えざるおえない。日本社会だけで生きていれば、直接的にそれらとは関係なく日々の生活が成り立っているように見えるのだろうが・・・。

| 未分類 | 05:00 | トラックバック:1コメント:0
「思考に余裕がない」・・・好ましからざる状態
先々週末ぐらいからブログの更新がしばらく出来ないでいた。理由はそれだけの思考的余裕がなかった・・・簡単に言うと仕事その他が忙しかったからということなのだが、その「忙しい」というのが曲者だ。忙しさと時間の関連性は当然あるのだが、忙しさと物理的な時間とを単純には換算できない部分がある。

ブログの更新は出来ないでいたが、DVDで映画を観たり、本を読んだりは出来ていた部分もあった。逆に主体的な思考を必要とする作業は、仕事を除いてほとんどがストップしていた。この事実を分析すると、物理的な時間というよりも、思考の余裕がなかったというほうがより事実に近い。

ブログの更新が出来ない=思考の余裕がなかった・・・ということはまた当然ながらブログの更新以外のことにも影響が出ているということとなる。ド忘れしてしまって失敗したりと、危険極まりない。

「思考に余裕がない」という状態は好ましくなく、自覚して改善すべき状態のように思うのだ。

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| 方向性のある雑感 | 13:32 | トラックバック:0コメント:0
バンド備忘録6月23日
土曜日、バンドの日。今日は夜のバンドの前に、仲間と一緒にコーラスの録音をするため、18:00から郊外にある別のスタジオに入った。すっかり夏っぽい日で、スタジオのある場所は空が広く視界が開けており、陽が落ちたあとの夕空はかなりいい感じだった。まるでリゾート気分(笑)

その場は20:30ごろ終え、戸田公園のスタジオに移動した。今回のバンド練習ではMTRでの録音は行わず、もっぱらバンドとして曲を煮詰めることに専念した。おかげでキーボードを入れる曲のコード進行をすべて理解することができた(笑)

練習後のミーティングでは次のライブの日程とそのライブでやる曲を打ち合わせ。次回のライブの曲構成は何か物足りないという話になり、プラスして・・・をやろうという話になった。いいかもしれない。

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| ロックバンド・アウフヘーベン | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
JR宇都宮・高崎線 架線切断事故原因への疑念
さいたま新都心の手前で発生した今朝の電車トラブル。モロに影響を受けた。最寄の京浜東北線の駅に行くと駅の外で女子高生が大勢溜まっていて、駅に入るとたくさんの通勤客が改札前で思案に暮れていた。警察も出ていた。放送で復旧は当分ない旨を話していたが、その原因が、電車の非常開閉ボタンを押して線路内に人が立ち入ったというもので、まるで乗客が悪いように放送していた。電光掲示板では「架線事故の影響で・・・」と流れていたため、マナーの悪い客が電車から無理やり降りたからかと思ったが、何のことはないJRが悪いのではいか。

京浜東北線はあきらめて、埼京線まで歩いていくことにした。空を見上げるとさいたま新都心の上空を何台もヘリコプターが飛んでいたので、ただごとではないことがわかった。15分程度歩いて到着した埼京線も大混雑で遅れていた。

今回の事故、運転士が停止位置を誤り火花誘発・・・・ということだが、そのような見解を出しているJR東日本に対してはかなり疑念を抱いている。疑念には根拠がある。確か1週間ぐらい前、夜に上野から宇都宮線か高崎線に乗っていたところ、さいたま新都心駅に到着する寸前、電車内の電灯が全て消えるという停電が発生した。かなりびっくりしたが、しばらくすると何事もなかったように電灯が点いて、何事もなかったようにさいたま新都心駅に到着した。車内放送では何の説明もなかった。電車であるから電気を供給している架線トラブルである可能性が高い。この体験からすると、今回の事故も運転士のミスというような次元ではないと思うのだ。つまりJR東日本の架線保守に問題があるのではないか?

運転士のミスが原因ということと、架線の保守が原因ということでは、行政の対応も大きく違ってくる。もちろんJR東日本としては個人の責任にしてしまったほうが都合がよいのだろう。福知山線での大事故と一緒だ。しかし、真の原因について再発防止が成されない限り、今回の件のように被害を被るのは利用客なのだ。言い方を変えると、真の原因が隠蔽され続けているからこそ、今日のようにしわ寄せが利用客に来てしまったと言えるかもしれない。

Suicaは地下鉄でも使えるようになり便利になった。買い物も出来る。しかし繰り返し書くが、JR東日本は公共交通機関としての社会的使命にこそ最大の注意を払うべきではないのか。民間企業であるから保守費用を減らして利益追求に走るのは必然という意見もあるかもしれない。では社会基盤として乗客の安全や安定した運行は一体だれが守るというのか?JR東日本ばかりではなく、行政にも大きな責任があるということになるのだろう。


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| ニュース・社会うんちく | 23:59 | トラックバック:2コメント:4
集中してやる・・・時間的に分散させないことのメリット
集中してやる・・・「集中」とは意識のことなのか、時間や場所など物理的なことなのかあいまいだが、ここで言いたいのはこういうことだ。
何かしら仕事をかたずけなければならない時、分散してやると時間もかかるし、はかどらないことが多い。しかし、分散せず、集中してやると時間も短時間で済み、はかどる場合が多い。ここでいう「集中」とは、時間的に分散させないという意味だと解釈してもらってよい。

メカニズムはこうだ。正確さを求められるような仕事をやる場合、何かしらを調べながら進めなければならないことがある。その調べたことについて、頭の中で暗記していれば二度も三度も調べ直さなくても進められるが、時間的に分散してやっているといちいち調べ直しながら進めていかなければならない。ここでいう暗記とは頭の中に一時的に溜めておく情報のことを指す。例を挙げると、「平成19年」という数字について、一度頭の中に入れて使っていれば30分程度は調べ直す必要はないだろう。しかし、1週間後、その数字を思い出さなければならない時、「今年は平成でいうと何年だっけ・・・」と、考えて調べなくてならないのだ(笑)。頭の中に入っているうちはカレンダーさえ見なくても済む。

また、脳にもエンジンがあり、エンジンが快調に回っているうちにこなしてしまったほうが一度エンジンを停止してから再開するより短時間で長距離を走れる。もちろん走る前に長距離を一気に走るぞ!という覚悟、そして忍耐が必要だが。

何かしらのトレーニングをしようとした場合、1日でやるよりも2週間かけてやったほうが身につくという場合もあるだろう。しかしその一方で、10のことを1日でやってしまったほうが効率がいい場合もあるのだ。目的によって使い分けるのが正解だと思う。

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| 方向性のある雑感 | 23:23 | トラックバック:0コメント:0
ジョン・レノンが殺された意味(10)
(ジャック・ジョーンズ著『ジョン・レノンを殺した男』 前回からの続き)

チャップマンの生きてきた軌跡を描いた本書の中で、最も衝撃を受けたのは CHAPTER25「ファン・レター」だ。その章の中では、服役中のチャップマンに対し、世界中の何千というレノンファンから送られてきた手紙の一部が紹介されている。その一つ一つが興味深い。これでもかこれでもかという表現を使い、チャップマンのことを最低最悪の人間と罵る手紙もあれば、刑を終えて出獄してきた暁にはチャップマンは殺されるであろうことを示唆し続ける手紙などなど。そんな中でも最も興味深かったのは旧ソ連で育ったレノンファンの女性の手紙だ。旧共産圏であっても、レノンにはその死を悲しみ自殺まで考えたファンが数多くいたという。その歌が国境を越えて多くの人に愛された証明ではないだろうか。あらためてその作品の超越したクオリティー、影響力には驚異を覚えざるおえない。彼が20世紀最大の芸術家の一人であることは間違いなく、音楽の可能性を社会的影響力にまで広げたその功績は計り知れないものがあると思う。

チャップマンは獄中の彼に宛てられた手紙を、その内容によって分類しているという。レノンファンからの非難の手紙もあれば、レノン殺害の動機を聞き出そうとする手紙、単にサインをねだる手紙、その影響力を借りて募金を集めようとする赤十字の手紙もあり、そしてまたレノン殺害の行為を賞賛する手紙もあるという。チャップマンは、レノン殺害を非難する手紙については理解できるが、犯行を賞賛するような手紙や彼の影響力を使って募金を集めようというような手紙に対しては、社会が病んでいるとコメントをしている。そのようなコメントを読む限り、チャップマンの判断能力は正常ではないかと思うのだ。

著者はチャップマンの人生を取り上げることによって、彼も同じ一人の人間であるということを読者に提示してる。フェントン・ブレスラーなどによるCIAマインドコントロール説が正しいとするなら、チャップマンも実はレノンと同じ被害者ということになるのだ。かわいそうな人としてチャップマンに対し同情の念を感じずにはいられなかった。

本書の最期にはチャップマンが獄中で書いた文学小説が掲載されている。その小説には、獄中でつながれたキリストと、そのキリストと会話し、信じたことにより処罰されることとなった主人公の悲しい物語が描かれている。その物語を読むにつけ、チャップマン、そしてその家族のことを思うと胸が痛まずにはいられない。チャップマンは感受性の強い人間であった。彼がレノンを殺害せねばならず、そして自ら悲劇の主人公となっていく様子には、現代社会の底知れぬ闇と理不尽さを感じずにはいられないのだ。

 この本については感想はおわり

(この話、つづく)




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| ジョン・レノンが殺された意味 | 23:00 | トラックバック:0コメント:0
ジョン・レノンが殺された意味(9)
(ジャック・ジョーンズ著『ジョン・レノンを殺した男』 前回からの続き)

事件を起こした当時について、チャップマンは”(自分自身が)まるで暴走列車で止めようがなかった”とか、”何者かになりかった”とか、”自分の中の「子供」の叫び声が大きくなって必死でやめさせようとした「大人」は姿をくらました”とか、内面の分裂状態について述べている。期間的にも、資金的にも、簡単には実行できないであろう計画的犯行でありながらこの内面の矛盾は一体どう説明すればいいのだろうか?

さらに驚くべきことに、裁判開始後、事件を起こした動機は、サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』を多くの人に読んでもらいたいからという理由に変わってしまうのだ。

ホノルル市立図書館で火が点いたレノンに対する憎悪という動機は一体どこへ行ってしまったのだろうか? 本当にレノンを憎悪し、確信犯的に犯行を犯したとすれば、逮捕後も、そして裁判が始まってからも、レノンの「偽善者」ぶりについて世に訴え、自分の行為を正当化するはずではないだろうか?・・・しかし憎悪どころか犯行当日に彼は、レノンからアルバム「ダブル・ファンタジー」にサインをもらい、嬉しさのあまりそのままハワイへ帰ってしまおうかと考えたほどなのだ。さらにチャップマンは、著者に対するインタビューの中で、レノン殺害については間違ったことであるとも認識しており、刑に服している間チャップマンを英雄視して送られてくる手紙に対し、情けないものを感じるとも述べているのだ。

このようにチャップマンの犯行の動機について、整合性のある動機が何一つ存在していないことから、精神学的なものを含め、裁判の過程でさまざまな説が提示されることとなった。それらの説は真相を究明する目的というより、裁判を進めるために生み出されたものであり、事実関係を誤ったまま述べられているものも多く、今なおウソや誤解が定着してしまっている元凶ともなっている。

チャップマンの証言を素直に解釈するなら、彼の内面には、レノンを殺したくはない自分と、レノンを殺さなければならなくなった自分の二つが存在していたことととなり、彼はその葛藤で揺れていたのだ。・・・依然として究明されていないその動機、そして米国の闇の歴史とレノンを消すことによってもたらされる「社会的効果」を考え併せた時、フェントン・ブレスラーの説のようにCIAによってマインドコントールされた結果という説もあながち外れてはいないように思えるのだ。そうとでも言わなければ、チャップマンのモチベーションについて、まったく説明がつけられない。これだけは確信を持って言えることは、少なくともチャップマンが事件を起こした背景には、なんらかの組織なり団体なりが関与していたことは間違いなく、それがCIAなのかどうなのかまではわからないが、矛盾に満ちたチャップマンの証言、犯行までの資金的側面を考えれば、単独犯行ではないことは明らかであろう。

(この本の感想について話は続く)


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| ジョン・レノンが殺された意味 | 23:00 | トラックバック:0コメント:0
ジョン・レノンが殺された意味(8)
ジョン・レノンを殺した男ジョン・レノンを殺した男
(1995/11)
ジャック ジョーンズ

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(前回からの続き)

このノンフィクションは、ジョン・レノン殺害の罪でアッティカ刑務所に服役しているマーク・チャップマンに対し、200時間を超えるインタビューを行い、加えてチャップマン夫人や関係者の証言をもとにして、レノン暗殺までのチャップマンの道のりを再現し、さらに服役中の彼について書かれたものだ。刊行は1992年とされている。

前述したフェントン・ブレスラーの『誰がジョン・レノンを殺したか?』などとは異なり、レノン殺害に関するCIAやFBIの関与については一切記載されてはいない。タイトルにあるとおり、本書の主役はあくまでチャップマンであり、彼の視点による犯行前後の状況、子供時代から歩んできた道のり、そして服役中の様子を描くことが目的となっている。この物語の中では、ジョン・レノンはあくまでも脇役に過ぎない。

では、そんなチャップマンの物語の中でレノン殺害の動機は一体どう描かれているのだろうか? その点に注目して本書を読み進めていったのだが・・・

レノンが殺害された1980年、ハワイでレノン殺害の計画を立てるまで、チャップマンの人生の中にレノンの名前が出てくることはほとんどなかった。子供時代に『ミート・ザ・ビートルズ』のアルバムを聴きながら、想像の産物である”リトル・ピープル”と楽しんだとか、「イマジン」の歌詞を変えて ”想像してみろ、ジョン・レノンが死んだならと”と替え歌を歌ったとかいう(かなり胡散臭い)エピソードぐらいではないだろうか。

そんなチャップマンが何故レノン殺害計画を立てるようになったのか・・・動機となりそうな話は1980年のホノルル市立図書館でのエピソードの中で突然登場してくる。当時何を探すでもなく図書館の本をランダムに読んでいたというチャップマンは、たまたまアンソニー・フォーセットの『愛と芸術 革命家ジョン・レノン』を手にしたという。その本を読み、「財産などないと想像してみろ」と歌っておきながら大金持ちの暮らしをしているレノンに対し、「いんちき(フォーニー)」として激しい憎しみを覚えたというのだ。

取って付けたようなエピソードが突然登場してくるわけだが、「いんちき(フォーニー)」と呼ばれる人は世に五万といるであろうが、何故憎しみの対象がジョン・レノンに特化されなければならなかったのか・・・その部分について辻褄の合う話はどこにも書かれていない。レノンの音楽に傾倒するあまり人生を狂わされてしまったというような具体的な事例が書かれているならまだしも、それどころかレノンのソロ時代のアルバムについてはどうやらその図書館で初めて聴いたような記述すらされているのだ(278P)。

つまり、1980年にホノルル市立図書館に行くまでレノンについて無知であったチャップマンが、レノンのことを「ぼくにとっては反体制の人であり、カウンターカルチャーの人であり、英雄だった人」と証言するのは余りにも矛盾に満ちている。逆の視点で見れば、この期間に、何らかの力によってレノンへの憎しみを植え付けられたとも見えるのだ。

チャップマンが「いんちき(フォーニー)」と感じた人であるなら、殺害の対象は誰でもよかったようにも思える。しかしその対象はあくまでもレノンであった。彼はそのために、妻を残し、母を残し、一人ハワイから飛行機に乗った。ニューヨークで弾丸が手に入らなかったことからアトランタまで出向き、再びニューヨークへ戻ったがそのままハワイへ帰ることとなる。そして執念深くも再びハワイからニューヨークへ出向き、ホテルに滞在し、根気強く何時間もレノンを待ち続け、その計画を果たすこととなった。・・・その動機から考えるにあまりに馬鹿げた話ではないか。

(この本の感想について話は続く)




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| ジョン・レノンが殺された意味 | 23:17 | トラックバック:0コメント:0
散文 07/06/10
以下、思考の羅列、今日思ったこと。

根拠のない「いつか」ではなく、未来でも過去でもなく、一番大切で価値があるのは「今」この近辺。まさに「今」この近辺こそが一番価値がある・・・そう思えるときは実はそうはないかもしれない。

自分が特別だと考えなければ出来ないこともある。誰もが自分自身に対して十字架を背負い、「使命」を持っている。自身の信念に対しうしろめたいと思う気持ちに誠実であれ。

アルコールは何も解決しない。ある時は現実逃避の手段であり、そして習慣のひとつでしかない。意図すれば習慣は変えることが出来る。

過去の経験、潜在意識に潜っているもの・・・その人にとって動かしようはなく、正面から見据えよう・・・・

夜明け前、そして夜明け、朝日が昇るところを見たい。



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ボーカル 藤原誠
超時空要塞マクロス マクロス・ザ・コンプリート超時空要塞マクロス マクロス・ザ・コンプリート
(1992/03/21)
アニメ・サントラ飯島真理

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羽田健太郎さんが亡くなられたことをきっかけとして、TV版『超時空要塞マクロス』の音楽集「マクロス・ザ・コンプリート」を借りてきた。『超時空要塞マクロス』の放映は1982年~1983年ということだから、実に4半世紀ぶりにそのテーマソングを聴いたことになる。当時はまだボーカルについてうんちくをたれるような耳はなかったのだが、今回、藤原誠のボーカルを聴き直して、かなりの実力派ボーカリストではないかと感心した。

藤原誠のボーカルからはすぐに尾崎紀世彦のボーカルが想起された。もちろん声自体は違うのだが、歌い方、声の出し方は共通している部分が大きいと分析する。自分がボーカルについて研究をしていたころ、日本人の実力派ボーカリストといえば「尾崎紀世彦」の名をまず挙げていて、彼の「また逢う日まで」は俺のカラオケ18番だった(笑)。そのボーカルはとても歌いやすく、メリハリを出しやすかったのだが、つまりそれは体を使った発声方法として、かなり無理なく理にかなったボーカルスタイルということなのだ。

藤原誠のボーカルもそんな正統派のボーカルだからこそ、聴く者になにかしらを訴えかけるのであろう。

 ♪今日の次に何がある
  明日の先に何がある
  遥か彼方の光にむけて
  僕は今も走りつづける

感動的な歌とは、詞と曲とそしてボーカルの三つがそろって成り立つものだと思う。名曲「ランナー」は、作詞 阿佐茜、作曲・編曲 羽田健太郎、そしてボーカル 藤原誠がいたからこそ、名曲たりえたといえよう。

姉妹記事
●超時空要塞マクロス エンディング主題歌 『ランナー』


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| N郎♪こだわりのボーカル | 23:25 | トラックバック:1コメント:0
何かしらを続けることって難しい・・・よね?(3)
(前回からの続き)

継続してやっていたことが途中でブチ切れて、それっきりになるってことがある。急に仕事が忙しくなったとか、たまにイレギュラーな時間の使い方をしなければならないことがあるとか・・・多分、何かしらが続かない理由の大きなものとして、そんなシンプルなことがあるのではないだろうか。

ペースが乱れたり、一時中断するのは仕方がないとして、重要なのは、ペースが乱れ、中断した後いかに早く確実に再開をするかということだ。継続出来ていれば特に意識しなくても続けることは比較的楽に出来ることだろう。しかし、一端止まったものを再び走らせるためには、開始ボタンを押すとか、エンジンをかけるとか、再スタートをするための何らかの行為が必ずいるのだ。その行為を行わないがために、一端中断したものが永遠に止まったまま・・・ということになる。

意図して再スタートをする・・・結構いいポイントなんじゃないかな(笑)

何かしらを続けることって難しい・・・よね?(2)
何かしらを続けることって難しい・・・よね?(1)


(この話続くよ)

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朝型×夜型
ちょっと前まではどちらかと言えば朝型だったのだが、このごろはすっかり夜型になってしまっている。もともとは圧倒的に夜型だった。朝型でいた時のほうがテンション高く、主体的意志でガンガン行動できていたような気がするが、一方、夜型の場合は流れに身を任せるといった感じで、疲れがない。恐らく使われている脳が違うのではないかと思う。

どちらがよいかはとりあえず置いておくとして、どこで生活サイクルが切り替わってしまったのか・・・ちょっと考えてみた。朝型を続けていると夜遅くまで起きていることが非常に辛いのだが、仕事などで夜遅くまで起きていなければならないようなことがあり、どうやらそこを切替点として切り替わってしまったようだ。

イレギュラーなことがあった時こそ、生活のリズムに注意せよということか。これは何かしらを続けることのポイントでもあるかもしれない。





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TV版 機動戦士ガンダム 『戦いへの恐怖』
TV版 機動戦士ガンダム 総音楽集TV版 機動戦士ガンダム 総音楽集
(2003/09/26)
TVサントラ池田鴻

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『超時空要塞マクロス』のBGMを久しぶりに聴いてちょっと感激してしまったのだが、そこから必然的に想起され、初代テレビ版『機動戦士ガンダム』のこの曲を挙げずにはいられなくなってしまった。アムロがガンダムに乗り込み、ホワイトベースから出撃する時のBGMだ。

スネアとブラスで静かに始まり、ガンダムが出撃してジオンのモビルスーツと戦いはじめるとストリングスが優雅に展開していくという、最高のBGMだったと思う。この曲がなければガンダムはあれほど大ブレイクはしなかったのではないか・・・な~んて思わされてしまうほど熱くなる曲だ。

音楽とドラマの展開、映像との完全なマッチがいかに演出効果をあげるか、お手本のような使われ方をした曲だと思う。傑作と呼ばれる作品には必ず傑作と呼ばれる音楽があった・・・

上に挙げたアルバムの解説書には、作曲者の松山祐士さんのインタビューが掲載されているという・・・ああ、だめだ、読みたくなった(笑)


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超時空要塞マクロス エンディング主題歌 『ランナー』
超時空要塞マクロス マクロス超時空要塞マクロス マクロス
(2008/04/23)
TVサントラ飯島真理

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「羽田健太郎」の名前は80年代のテレビアニメ『超時空要塞マクロス』で初めて知った。主題歌がよかったのと、劇中のBGMがかなり素晴らしかったのとで、作曲者ってだれ?!!と思い、その名前を知ったのだ。特にエンディング主題歌の「ランナー」は番組のエンディングにふさわしく、ドラマティックなメロディーとそれを歌い上げるボーカル(藤原誠)、そして歌詞のよさに魅了され、素晴らしい曲だと思った。

 ♪僕はもう追いかけはしない
  君の走る影のあと
  ・・・

『超時空要塞マクロス』の主題歌やBGMはいつかアルバムで聴いてみたいと思っていたが、ずっとタイミングを逸したままだ。羽田健太郎さんの死がきっかけとなってしまったが、「ランナー」、CDを借りてきて、久しぶりに聴いてみようかな・・・

姉妹記事
●ボーカル 藤原誠


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| この曲がおもしろい! | 23:59 | トラックバック:1コメント:2
羽田健太郎さん死去
作曲家の羽田健太郎さんが亡くなられた。まだそんな年ではないのではないかと思ったが、ガンであったという。

羽田健太郎さんと言えば、テレビドラマや映画など様々な音楽の作曲や演奏をされているが、俺的には80年代の『超時空要塞マクロス』や、『爆竜戦隊アバレンジャー』などの音楽が親しみ深い。そしてなんといっても横溝正史作品を扱った企画アルバム『横溝正史MM(ミュージック・ミステリー)の世界~金田一耕助の冒険(特別版)』だと思う。

過去ログ
●『横溝正史MM(ミュージック・ミステリー)の世界~金田一耕助の冒険(特別版)』


羽田さんのご冥福を祈る。

●リンク:羽田健太郎さん公式ホームページ




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| 未分類 | 23:50 | トラックバック:1コメント:0
ジョン・レノンが殺された意味(7)
ジョン・レノン暗殺―アメリカの狂気に殺された男ジョン・レノン暗殺―アメリカの狂気に殺された男
(2004/12)
フィル ストロングマンアラン パーカー

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(前回からの続き)

前回書いたように、ジョン・レノン暗殺について2冊目の本を読み終えた。本書は日本題のタイトルにあるように、米国の「狂気」の現代史をつづるとともに、ビートルズ、そしてジョン・レノンの軌跡を時系列に従って追っていたものである。その中でもジョン・F・ケネディ暗殺、ロバート・F・ケネディ暗殺については、ジョン・レノン暗殺につながるエポック的な事件として、ストーリーの軸に据えられている。

前回紹介したように、この本は米国の現代史を解説することによって、フェントン・ブレスラー著『誰がジョン・レノンを殺したか?』を補完するような内容となっている。著者はジョン・レノン暗殺を・・・”CIAのMKウルトラという高度な戦略を完成させる最期の事件”・・・と仮説を立てている。MKウルトラとは1950年代に始まったCIAによるマインドコントロールの実験であり、そのような実験が実際に成され、犠牲者も出ていることは公式な記録として残っている。(以下参考サイト例)

●リンク:Wikipedia「Project MKULTRA」

ロバート・F・ケネディ暗殺の犯人とされたサーハン・べシャラ・サーハンはマインドコントロールをかけられていた・・・など、本書は米国の影の歴史に免疫がない者にとってはかなり衝撃的な内容となっていると思うのだが、その中でも、自分が最も衝撃を受けたのはマインドコントロールに関する以下の記述であった。

1994年、メキシコの大統領候補コロシオが、”一匹狼”のアブルトという男に暗殺された。アブルトは、コロシオが自分に近づいて来るまで、彼を殺したいとは思わなかったと供述し、自分の心の中からコロシオを撃てと命令する声が聞こえたとも言った。警察署長は、アブルトが自分の自由意志だけで行動したはずはないと確信した。さらに、その日のガンマンはアブルトだけではなかったはずだと考えた。ところがアブルトが何者かに銃殺されて、警察の捜査は行き詰まった。メキシコ政府の公式調査委員会は、おそらくマインド・コントロールの専門家と共謀した暗殺者がコロシオを暗殺したと結論づけた。この殺人は陰謀によるものであり、この陰謀を強力に支援する存在があるようだが、メキシコ警察は真相を追究できないでいると報告した。

CIAのような諜報機関がマインドコントロールについて実験を重ねるというのは容易に想像がつくことではあるのだが、しかしメキシコとは言え、実際にマインドコントロールによって要人が殺害されたという、政府の公式記録があるというのには少なからず驚いた。マインドコントロールによる暗殺事件・・・何か突拍子もないことのように思えるが、突拍子もなく思うのは単にそう思う人が世界の現代史について無知であるからだ・・どうやら我々はそんなふうに言わざるおえないような状況の中で生きているのかもしれない。

(この話続く)




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| ジョン・レノンが殺された意味 | 22:30 | トラックバック:0コメント:0
ジョン・レノンが殺された意味(6)
(前回からの続き)

ジョン・レノン暗殺に関する2冊目の本を読み終えた。フィル・ストロングマン&アラン・パーカー著、小山景子訳の『ジョン・レノン暗殺―アメリカの狂気に殺された男』だ。ジョン・F・ケネディ暗殺やロバート・F・ケネディ暗殺についての様々な矛盾点、暗殺と米国保守権力との関わり、そしてまたベトナム戦争でのソンミ虐殺事件、エルサルバドルでのアメリカ人修道女虐殺事件など、米国現代史における負の事件とその背景を指摘していった怒りの告発本ともいうべき内容だった。かなり興味深い内容で、米国の現代史について、よく理解することが出来た。詳細はこのシリーズの次回書くこととしよう。

『ジョン・レノン暗殺―アメリカの狂気に殺された男』の序章では、この著作が前に紹介したフェントン・ブレスラー著『誰がジョン・レノンを殺したか?』に負うところが大きいと記述され、米国の近現代史を解説することでフェントン・ブレスラーの著作を補足するような意味あいもあったのではないかと思われる。最期の章では『誰がジョン・レノンを殺したか?』の反響として、次のような記述がされている。

ジョン・F・ケネディ、キング牧師、ロバート・F・ケネディ、ジョン・レノン、彼らはみんな名誉を傷つけられている。死人に口なしと言われるとおり、彼らが誰かを告訴することはもうできない以上、これほど無防備で狙いやすい標的もないだろう。我々は、汚いやり口の”暴露証言”にまんまと乗せられないよう用心すべきだし、暴露の仮面をかぶった卑劣な攻撃について、その情報源を徹底的に追求すべきだ。例えばイギリスでは、レノンの死とアメリカ情報関連機関とのつながりを初めて正面から論じた著作としてフェントン・ブレスラーの『誰がジョン・レノンを殺したか?』が出版された時、評論家のマイルズ・コープランドが大手新聞に、この本を目茶苦茶にこき下ろす記事を載せた。しかし、コープランドの父親がCIAの共同設立者の一人だったという重要な事実は、もちろんこの記事には一言も書かれていない。


以前、佐野眞一著『東電OL殺人事件』の書評を書いた際にも指摘したが、フィル・ストロングマンが強調しているように、権力機関に関わる調査報道やノンフィクションに対する誹謗中傷を見たならば、その背景を注意深く考える必要がある。

・・・その『誰がジョン・レノンを殺したか?』について、最期までジョン・レノン暗殺にCIAが関与していたという直接的な証拠が提示されることはなかった。しかしジョン・レノンを殺したチャップマンについて、ビートルズマニアでも、ジョン・レノンマニアでもなかったこと、一匹オオカミでも精神的な異常者でもないということ、殺人の動機について説得力ある動機が何一つ提示されていないこと、ジョン・レノンを殺すまでのチャップマンの軌跡には、中東のベイルートに滞在して何らかの体験をしたり、共産圏を含めた世界一周の旅に出たりと、資金的な面を含めていくつもの不可解な点があるということ、そしてジョンを殺すため、わざわざハワイから飛行機に乗って二回もニューヨークへ来ており、二回目にニューヨークへ向かう際、シカゴに滞在したことが隠蔽されていたことなど、これまで世間一般に広まっていた諸説を否定する事実が記載されていた。

フェントン・ブレスラーは、チャップマンによるジョン・レノンの暗殺はCIAによるマインド・コントロールの結果ではなかったかと世に訴えたわけだが、その説は何も突拍子なく驚くような話ではないということを、いろいろ調べていくうちに知ることとなった。次回は『ジョン・レノン暗殺―アメリカの狂気に殺された男』を中心に、それについて書く。

関連記事
●ジョン・レノンが殺された意味(3)/フェントン・ブレスラー著『誰がジョン・レノンを殺したか?』
●佐野眞一『東電OL殺人事件』(1)

(この話続く)



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| ジョン・レノンが殺された意味 | 23:59 | トラックバック:1コメント:0
楽しく生きるコツ
ここ2日ばかり、気持ち的にはかなり絶好調だ・・・・人って忙しくなってやらなければならないことがたくさんあると逆に気力も満ちてくるのかもね(・・・といってもこなせればの話だが)。やらなければならないことをどんどんかたずけてこなしていくことがメンタルの活性化にもつながってるんだと思うけど、理由は単純、自ら主体的に行動し、一つ一つかたずけていくことに爽快感があるからだと思う。以前書いた「そうじ・・・脳への効用」と共通してることなんだろうね。

・・・そんなことを考えてみると、やらなければならないことは溜めておかず、どんどんかたずけていくべきなんだと思う。これは楽しく生きるコツかもしれない。

関連記事
●そうじ・・・脳への効用

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| 方向性のある雑感 | 20:57 | トラックバック:0コメント:0
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Author:N郎♪
秋葉原秋田犬、越谷アビーロード他、都内、埼玉のライブハウスにてソロライブ展開中。他にロックバンド・アウフヘーベンのボーカリストとして活動。レギューラー番組、ぷち FM897 すみだリヴァー 毎週木曜 22:00~『N郎♪ ON AIR ラベンダーな夜』
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2014/1/25発売 Newアルバム



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税込価格 1,500円  2014.1.25 発売
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