「N郎♪商店」営業中!

N郎♪音汰。

2007年6月末のごあいさつ
日が変わり、6月最期の日となったが、今夜は久しぶりに夜空が晴れ、月がきれい・・・

空白期間

今月を振り返ってみると、ブログのカレンダーにあるように真ん中にポッカリ穴が空いてしまっている。先日書いたとおり、仕事が忙しく思考に余裕がなかったからだ。その期間は単にブログが更新できなかったというだけではなく、生活や活動の多くに影響を与えてしまっていて、よろしくない。こんな期間が発生すると、それまでの思考との断絶が発生してしまい、「何かしらを継続することの難しさ」に直面する結果となってしまう。しかし、かといってこういった期間は必ず発生するから避けて通ることもできない。

・・・ということはつまり、そんな思考に余裕がない期間があったとしても、生活や活動のペースをうまく制御しろということなのだ。これはある種の技術と言ってもいいだろう。その技術を高めていけば、状況に翻弄され、不本意な結果となってしまうということを減らせられる・・・・かな(笑)

例えば以前書いた再スタートすることもその一つだろう。見境のない期間が終わったなら、再びそれ以前に戻り、再スタートする。そのプロセスが絶対に必要なのだ。・・・というわけでエンジンをかけ直し、再スタート。

9.11、そして今

ジョン・レノンの暗殺の話から派生して、9.11関連をしばらく取り上げているが、映像を観たり、本を読んだりしながら、かなり辛くなった。命を奪われ、五体を欠落させられ、家族を殺され、そんな悲惨な状況に置かれてしまった人たちの悲しみにやるせない気持ちでいっぱいだ。そしてそれと同時に、現在の日本は平和な国であり、自分は運がいいのだろうとも思った。この日本に生きる人たちも、つい60年ほど前までは加害者として、被害者として、悲惨極まりない状況の中で生きざるおえなかった。今のような平和が続いているのは、東アジアの情勢もあり、そして憲法9条があってこそだとも思う。憲法9条を憎み、堂々と戦争が出来る国にしたい人たちは、それがどれだけ悲惨なものであるのかわかっているとは到底思えない。コストの面でもそうであり、戦争にかかる莫大な費用はすべて税金で賄われ、軍事費が増えれば増えるほど、他の予算が削減されるのだ。現首相の標榜している「美しい国」とはそういう愚かしく悲惨な国のことを指していると思ってよい。来月は選挙もあるが・・・


7月となるが・・・

戦争やテロに翻弄される様々な国の人たちの人生、生き方、そして死を読み進めながら、自分自身の存在意義、生き方について顧みないわけにはいかなかった。慌しい日常生活の中、そんな根源的な部分について顧みることはそう多くはないだろう。であるなら、そんな月であってもいいんじゃないかと思う。

・・・というわけで本月はお世話さまでした。来月が皆様にとってよき月となることを願っております。よき月とは??・・・





| 方向性のある雑感 2007 | 00:46 | トラックバック:0コメント:4
ノーム・チョムスキー 『9・11 アメリカに報復する資格はない!』
9・11―アメリカに報復する資格はない! 9・11―アメリカに報復する資格はない!
ノーム チョムスキー (2002/09)
文藝春秋
詳細

言語学者ノーム・チョムスキーの9.11発生直後に行われたインタビューをまとめたもの。彼の視点は明確であり、偏見に曇ることなくフェアであるがゆえに、その発言に驚かされてしまうことが多い。例えば以下のような発言だ。

「世界の大半において、米国が、充分な根拠をもって「テロ国家の親玉」と見なされている事実を認めるべきである。例えば、1986年に米国は国際司法裁判所で「無法な力の使用」(国際テロ)の廉で有罪を宣告されたうえ、米国だけが、すべての国に国際法遵守を求める安全保障会議の決議に拒否権を発動した」

このような事実に基づいた極めて真っ当な意見に驚いてしまうということは、逆にいうと、我々が日々接しているマスメディアの視点がいかにアンフェアで偏ったものであるのかということだ。9.11については誰でも知っていることだろう。しかしレーガン政権下で米国がニカラグアにしてきたこと、クリントン政権下でスーダンのアル・シーファ工場を爆撃し、その結果どれだけ多くの罪なき命が奪われることとなったか知っているだろうか?その工場はスーダン国民が薬品を手に入れるための命綱であった。(詳細については以下のサイトなどを参照していただきたい。)

●リンク:チョムスキーの「反テロ戦争」批判

マスメディアによって情報が選別され、不都合な事実が広まることが抑制され続けているからこそ、受け手の偏見は偏見のまま解消されることがない。日本の侵略について、いまだに中国や韓国で怒りが渦巻いていること、米下院外交委員会が従軍慰安婦問題に関する決議案を可決したことなど、多くの日本人は「何のこっちゃ」と違和感を持っていることであろう。しかしその違和感は、不都合な事実が広まることをマスメディアが抑制してきた結果でもあるということを我々は知るべきだ。日本が近隣諸国でしてきたこと、そして現在までの日本の状況をよくみてきた人であるならば、ある人が「違和感」と感じていることを、当然の結果として受け止めていることだろう。

彼はまた、「テロ」という言葉について、次のように述べている。

私は「テロリズム」という言葉を米国の正式文書に定義されている通りに理解している。「政治的、宗教的、あるいはイデオロギー的な目的を達成するため、暴力あるいは暴力の威嚇を、計算して使用すること。これは、脅迫、強制、恐怖を染み込ませることによって行われる」この −どこからどこまでも至当な − 定義に合致する、最近の米国への攻撃は、紛れもなくテロ行為であり、事実、人に恐怖感を起させるテロ犯罪である。

そしてさらにその言葉が、通常は恣意的に使われてばかりいることにズバリ言及している。

 テロと言う言葉について言えば、米国の正式文章から引用した字義通りの意味と並行して、プロパガンダ的な使い方もある。残念なことに、こちらのほうが標準的である。敵によってわれわれあるいは同盟国に対して行われたテロ行為を指すのに使われる。こうしたプロパガンダ的な使い方が事実上、普遍的なのだ。万人が「テロを非難する」のはこの意味である。ナチですら、テロを厳しく非難し、彼らが「対テロリズム」と呼んだ作戦行動をテロリストのパルチザンに対して実行している。


余談ながら、本書の最期には付録として「世界のテロリスト集団」という、米国国務省の報告が掲載されている。2001年10月の報告書の中で、世界のテロ集団28団体の中に日本のオウム真理教が含まれていることに驚いた。米国国務省が認定しているということは、当然CIAなども認識しているということなのだろう。


| 911、そしてそれからの世界 | 00:17 | トラックバック:1コメント:0
ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン著 『9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言』
9・11生死を分けた102分  崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言 9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン 他 (2005/09/13)
文藝春秋
詳細

本書は超高層ビル内でその日を体験した多くの証言によって構成されている。直接の体験者でなければ語れぬ悲惨な状況に、次の展開が気になるのと同時に、読んでいてかなり辛くなった。

北ビルへの最初の航空機突入。燃え盛る上層階から逃げ場を失い、苦しさに耐え切れず自ら飛び降り死んでいく人たち、それを目の当たりにする人々。そして予想だにしない2機目の南ビルへの突入、動かないエレベーター、塞がれた避難階段、崩壊する南ビル、救助作業に疲れ果て、南ビルの崩壊を知らないまま北ビルで休息している消防隊、続いて崩壊する北ビル・・・。

表紙写真にあるように、ビルの中、特に高層階は地獄絵さながらであり、救いがない。本当に悲惨なことだと思う。

・・・しかしこれだけ綿密に取材し、年月をかけてたくさんの証言を集め、高い完成度を誇りながらも、読後、本書に対して疑問を抱かずにはいられない。世界貿易センタービルの当時の清掃員であり、事件後英雄となったウィリアム・ロドリゲスの証言にあるように、北ビルに航空機が突入する前に地下で爆発があったという証言がまったく掲載されていないからだ。他の階でも爆発があったというようなビル崩壊の原因に対する疑惑についても何一つ言及されていない。建築構造が火災にもろいものであったということは何度も言及されている。

これらが意図的なものであるかどうか定かではないが、少なくともこの本だけを読んでいるならば、ビル崩壊の原因に対して疑問を抱くことはないだろう。内容の完成度が高いだけに、高度なレベルでクエスチョンマークのつく本でもある。

| 911、そしてそれからの世界 | 00:44 | トラックバック:0コメント:0
マイケル・ムーア監督 『華氏 911』
華氏 911 コレクターズ・エディション 華氏 911 コレクターズ・エディション
ドキュメンタリー映画 (2004/11/12)
ジェネオン エンタテインメント
詳細

様々な評判のわりには極めて真っ当なドキュメンタリ映画だった。よく出来ていると思う。

どのシーンが最も印象に残ったか?・・・そう訊かれたら、米国の攻撃で悲嘆に暮れるイラクの一般市民、我が子を戦場で失った米国の母親の嘆き、そういったシーンを選ぶだろう。

マイケル・ムーアが胡散臭いとか、そういった理由でこの映画を最低評価するような感想を見かけることがある。しかし、そういった人たちはこの映画の一体どこを観ているのだろうか?人の心があるんだろうか?・・・そんな疑問を感じざるおえないぐらい真摯な内容であり、最低評価を下している側にこそ胡散臭さを感じてしまう。米国人で盲目的な共和党支持者というのならまだ意味はわかるが。これは正当な評価であり、それ故にカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したのであろう。

5月の浦和での憲法集会の際、ジャーナリストの堤未果氏は、米軍のスカウトが貧しい若者を米軍に呼び込む手口について語っていたが、まさにその映像が記録されていて興味深かった。まったく堤未果氏の話のとおりであった。

米国の格差社会や戦争の構造が極めてわかりやすく凝縮されており、一つの作品として完成度は高い。一度観てみるべきだと思う。


| 911、そしてそれからの世界 | 00:41 | トラックバック:0コメント:0
芝生瑞和 著 「テロリスト」がアメリカを憎む理由
「テロリスト」がアメリカを憎む理由 「テロリスト」がアメリカを憎む理由
芝生 瑞和 (2001/11)
毎日新聞社

詳細

2001年9月11日に発生した米国中枢テロ。その背景にあると思われる中東情勢について、極めてわかりやすく書かれた本だ。シオニズムから始まり、英国が中東にしてきたこと、イスラエルの成り立ちと米国との関係、そしてオサマ・ビンラディンの登場・・・漠然としか理解していなかった中東の歴史についてかなりクリアに理解することが出来た。

筆者は「テロリスト」という呼称について、敢えて「」をつけて表現している。”ある人にとっての『テロリスト』は、他の人にとっては『自由の戦士』だ”・・・ロイターの国際ニュース責任者ステファン・ジュークスの言葉を借りて解説しているように、「テロリスト」という呼称は、権力によって極めて恣意的に使われ続けてきた。「テロ」との闘いを標榜する米国の大統領が、実は世界最大のテロを行い続ける最高責任者であるという倒錯した現実を目の当たりにしている今、極めてフェアな視点であると思わずにはいられない。逆にいうと、マスメディアによって日々垂れ流されている情報が如何にアンフェアなものであることか・・・。

あとがきの日付は2001年10月26日となっている。9月11日から40日強しか経っていないにもかかわらず、これだけわかりやすくまとめられた本が刊行されたということに驚きを覚える。2年前に他界した著者の芝生瑞和氏について、日本社会は大きな人を失ったと思わずにはいられない。

| 911、そしてそれからの世界 | 02:11 | トラックバック:0コメント:0
このごろ読んだり観たりしているもの
前回「思考に余裕がない」・・・好ましからざる状態について書いたが、その間、いくつか本を読み、またDVDで映画も観た。いずれも9・11に関連するものだ。以下。

・芝生 瑞和著/「テロリスト」がアメリカを憎む理由/毎日新聞社
・ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン著/9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言/文藝春秋社
・マイケル・ムーア監督/華氏 911 /ジェネオン エンタテインメント

これらの他、現在9・11に関して読み中のものもあり、機会をみて紹介していきたい。

もう6年近くも前になってしまったが、2001年9月11日に米国で発生した大事件、そしてそれに続くアフガニスタンやイラクでの戦争。本を読み、映像を観るにつけ、リアルタイムで同時代を生きている者としてやはり大きく考えざるおえない。日本社会だけで生きていれば、直接的にそれらとは関係なく日々の生活が成り立っているように見えるのだろうが・・・。

| 未分類 | 05:00 | トラックバック:1コメント:0
「思考に余裕がない」・・・好ましからざる状態
先々週末ぐらいからブログの更新がしばらく出来ないでいた。理由はそれだけの思考的余裕がなかった・・・簡単に言うと仕事その他が忙しかったからということなのだが、その「忙しい」というのが曲者だ。忙しさと時間の関連性は当然あるのだが、忙しさと物理的な時間とを単純には換算できない部分がある。

ブログの更新は出来ないでいたが、DVDで映画を観たり、本を読んだりは出来ていた部分もあった。逆に主体的な思考を必要とする作業は、仕事を除いてほとんどがストップしていた。この事実を分析すると、物理的な時間というよりも、思考の余裕がなかったというほうがより事実に近い。

ブログの更新が出来ない=思考の余裕がなかった・・・ということはまた当然ながらブログの更新以外のことにも影響が出ているということとなる。ド忘れしてしまって失敗したりと、危険極まりない。

「思考に余裕がない」という状態は好ましくなく、自覚して改善すべき状態のように思うのだ。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:ライフ

| 方向性のある雑感 2007 | 13:32 | トラックバック:0コメント:0
バンド備忘録6月23日
土曜日、バンドの日。今日は夜のバンドの前に、仲間と一緒にコーラスの録音をするため、18:00から郊外にある別のスタジオに入った。すっかり夏っぽい日で、スタジオのある場所は空が広く視界が開けており、陽が落ちたあとの夕空はかなりいい感じだった。まるでリゾート気分(笑)

その場は20:30ごろ終え、戸田公園のスタジオに移動した。今回のバンド練習ではMTRでの録音は行わず、もっぱらバンドとして曲を煮詰めることに専念した。おかげでキーボードを入れる曲のコード進行をすべて理解することができた(笑)

練習後のミーティングでは次のライブの日程とそのライブでやる曲を打ち合わせ。次回のライブの曲構成は何か物足りないという話になり、プラスして・・・をやろうという話になった。いいかもしれない。

テーマ:バンド活動♪ - ジャンル:音楽

| バンド備忘録 | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
JR宇都宮・高崎線 架線切断事故原因への疑念
さいたま新都心の手前で発生した今朝の電車トラブル。モロに影響を受けた。最寄の京浜東北線の駅に行くと駅の外で女子高生が大勢溜まっていて、駅に入るとたくさんの通勤客が改札前で思案に暮れていた。警察も出ていた。放送で復旧は当分ない旨を話していたが、その原因が、電車の非常開閉ボタンを押して線路内に人が立ち入ったというもので、まるで乗客が悪いように放送していた。電光掲示板では「架線事故の影響で・・・」と流れていたため、マナーの悪い客が電車から無理やり降りたからかと思ったが、何のことはないJRが悪いのではいか。

京浜東北線はあきらめて、埼京線まで歩いていくことにした。空を見上げるとさいたま新都心の上空を何台もヘリコプターが飛んでいたので、ただごとではないことがわかった。15分程度歩いて到着した埼京線も大混雑で遅れていた。

今回の事故、運転士が停止位置を誤り火花誘発・・・・ということだが、そのような見解を出しているJR東日本に対してはかなり疑念を抱いている。疑念には根拠がある。確か1週間ぐらい前、夜に上野から宇都宮線か高崎線に乗っていたところ、さいたま新都心駅に到着する寸前、電車内の電灯が全て消えるという停電が発生した。かなりびっくりしたが、しばらくすると何事もなかったように電灯が点いて、何事もなかったようにさいたま新都心駅に到着した。車内放送では何の説明もなかった。電車であるから電気を供給している架線トラブルである可能性が高い。この体験からすると、今回の事故も運転士のミスというような次元ではないと思うのだ。つまりJR東日本の架線保守に問題があるのではないか?

運転士のミスが原因ということと、架線の保守が原因ということでは、行政の対応も大きく違ってくる。もちろんJR東日本としては個人の責任にしてしまったほうが都合がよいのだろう。福知山線での大事故と一緒だ。しかし、真の原因について再発防止が成されない限り、今回の件のように被害を被るのは利用客なのだ。言い方を変えると、真の原因が隠蔽され続けているからこそ、今日のようにしわ寄せが利用客に来てしまったと言えるかもしれない。

Suicaは地下鉄でも使えるようになり便利になった。買い物も出来る。しかし繰り返し書くが、JR東日本は公共交通機関としての社会的使命にこそ最大の注意を払うべきではないのか。民間企業であるから保守費用を減らして利益追求に走るのは必然という意見もあるかもしれない。では社会基盤として乗客の安全や安定した運行は一体だれが守るというのか?JR東日本ばかりではなく、行政にも大きな責任があるということになるのだろう。


関連記事
●JR上野駅の構造的欠陥
●JR東日本・・・休日の混雑とグリーン車を改善すべき
●京浜東北線・信号機トラブルの影響で朝の通勤客混乱・・・で思ったこと
●続・京浜東北線・信号機トラブルの影響で朝の通勤客混乱・・・で思ったこと

テーマ:気になるニュース - ジャンル:ニュース

| ニュース・社会うんちく | 23:59 | トラックバック:2コメント:4
集中してやる・・・時間的に分散させないことのメリット
集中してやる・・・「集中」とは意識のことなのか、時間や場所など物理的なことなのかあいまいだが、ここで言いたいのはこういうことだ。
何かしら仕事をかたずけなければならない時、分散してやると時間もかかるし、はかどらないことが多い。しかし、分散せず、集中してやると時間も短時間で済み、はかどる場合が多い。ここでいう「集中」とは、時間的に分散させないという意味だと解釈してもらってよい。

メカニズムはこうだ。正確さを求められるような仕事をやる場合、何かしらを調べながら進めなければならないことがある。その調べたことについて、頭の中で暗記していれば二度も三度も調べ直さなくても進められるが、時間的に分散してやっているといちいち調べ直しながら進めていかなければならない。ここでいう暗記とは頭の中に一時的に溜めておく情報のことを指す。例を挙げると、「平成19年」という数字について、一度頭の中に入れて使っていれば30分程度は調べ直す必要はないだろう。しかし、1週間後、その数字を思い出さなければならない時、「今年は平成でいうと何年だっけ・・・」と、考えて調べなくてならないのだ(笑)。頭の中に入っているうちはカレンダーさえ見なくても済む。

また、脳にもエンジンがあり、エンジンが快調に回っているうちにこなしてしまったほうが一度エンジンを停止してから再開するより短時間で長距離を走れる。もちろん走る前に長距離を一気に走るぞ!という覚悟、そして忍耐が必要だが。

何かしらのトレーニングをしようとした場合、1日でやるよりも2週間かけてやったほうが身につくという場合もあるだろう。しかしその一方で、10のことを1日でやってしまったほうが効率がいい場合もあるのだ。目的によって使い分けるのが正解だと思う。

テーマ:**暮らしを楽しむ** - ジャンル:ライフ

| 方向性のある雑感 2007 | 23:23 | トラックバック:0コメント:0
| ホーム | 次ページ

カレンダー

05 | 2007/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール
ご訪問の際はクリックお願いします♪

にほんブログ村 音楽ブログ 音楽活動へ にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村 音楽ブログへ どれでもOK

ライブ告知&お知らせ
記事一覧表示
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
旧ブログアーカイブ
リンク

QRコード

QRコード

ブログ内検索

RSSフィード
By FC2ブログ