参議院選挙結果雑感
日曜日の夜、テレビで参院選の開票速報を見ながらの雑感を・・・

安倍首相が選挙敗北の責任を問われ、涙目になりながら「美しい国、美しい国」と連呼している様子に、日本の政治家のレベルも落ちるところまで落ちたんだな~と思わずにはいられなかった。彼らは「政治」をしているのではなく、甘やかされた環境の中で「政治ごっこ」をしているのだろう。赤城農相もそうだが、常識の欠落した二世、三世のボンボン政治家にはもう本当にうんざり。

対する民主党だが、これはもう小沢恐るべしといったところだ。今回の選挙に焦点を合わせ、全国行脚をして民主党を大勝に導いた小沢の手腕はさすがに普通ではない。いくら自民に逆風が吹いたからといって、それが民主党支持に直結するわけではないのだ。同じ民主党でも、前原や岡田といったひ弱な連中とは根本的に違うんだろう。

しかしそれにしてもかつてこれほど自民党が袋叩きにあっている光景を見たことがあっただろうか?マスコミはここぞとばかりに自民党=安倍首相を批判していたが、それでもなおかつ続投するという安倍首相の感覚には恐れ入った。赤城クンと一緒にどこまでも続けることが「美しい国」への近道なのだろう。なぜなら「美しい国」とはつまり、自分が捨石となり、腐った政治のウミを出し切る覚悟のことを言っていると解釈するからだ。既に他界した大臣もいることだし、とことんまで「自民党をぶっこわ」してくれ。

埼玉の選挙区では公明党の前職が落選した。テレビ埼玉の速報番組を見ながら、選挙運動をしている公明党の人が「無党派層を取り込む」というような発言をしていたのにはびっくりした。この世相で無党派層が公明党に入れるなどありえないだろう。彼らもいかに錯覚をしていたかということだ。

共産、社民はここ数年ジリ貧街道をまっしぐらだが、これまでにはない斬新なアピールでしか起死回生する方法はないのではないかと思う。従来の方法では有権者に訴えるものがないのかもしれない。そうせざるおえないのだ。


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| ニュース・社会うんちく | 23:03 | トラックバック:0コメント:0
バンド備忘録 2007/07/28
土曜日、バンドの日。今回はこれまでMTR録音していなかった曲の録音を中心に行う。前回のMTR録音の反省から、ドラムのスネア・ハイハット・バスドラの音に気を使う。その甲斐あって、前回よりはドラムの音がよく録れた。ハードロック系の曲のほかにバラード系を2曲録り、あとから俺の鍵盤とボーカルを入れることになっているのだが・・・ボーカルはともかく、鍵盤アレンジをどうしようか不安もあり、楽しみでもあり(笑)。実は生鍵盤をMTR録音するのははじめてなんだよね~。どうなることやら。

次回のライヴに向けて日本の名曲をカヴァーすることとなり、スタジオ練習終了後、その選曲を行う。候補曲を数曲カーステレオで流し、メンバーであれやこれやと意見を出し合う。

で、次回のライヴはなんやかんやいって9月になりそうな感じだ。ガツンとしたハード・ロックが中心となるライヴ構成となる予定だが、日本の名曲のカヴァー他、サプライズはあるぜ。お楽しみに。



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| ロックバンド・アウフヘーベン | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
面倒なこと
たいがい面倒なことは先送りされ、忘れたままになり、何かのきっかけがない限りいつまでも達成されることはない。しかしその面倒なことも、手をつけてみれば死ぬほど面倒なことでもないことに気付いたりする。むしろその方が多く、死ぬほど面倒なことなど滅多にはない。そしてその面倒なことをちょっと我慢してやってみれば、想定外に視界が開けたりするものだ。・・・なぜならば「面倒なこと」とは、つまり自分が苦手として避けてきたことであり、それ故に手をつければ当然のごとく、視界が開ける。

視界が開けることを望むならば「面倒なこと」をやるべきだ。簡単なことをやっても視界は開けない。「面倒なこと」をやった分だけ価値があることになる。

今月、今週、今日・・・いくつ「面倒なこと」に手をつけることができたか? 記録をつけてみるのもおもしろいかもしれない。

| 方向性のある雑感 | 01:28 | トラックバック:0コメント:2
最近録音したバンド音源(1)
最近バンドでMTRに録音した音源を以下にリンク

●ネオ・イリュージョン(2007)

もともとの曲は1990年代に作った曲で、作曲はベースのさとし、詞は俺なんだけれど、当時マスコミを賑わしたショッキングな事件から発想のヒントを得ている。

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| 未分類 | 02:04 | トラックバック:0コメント:0
「目の前に差し迫ったやるべきこと」
今週を振り返ると、週の前半はモチベーション高くバリバリ出来たが(朝型)、水曜日以降はウソのようにヘロヘロ状態となってしまった。理由は単純。目の前に差し迫ったやるべきことを終えたからだ。目の前に差し迫ったことがある場合、人はバリバリやらざるおえないが、そうではないとダレるのだろう。
しかし、「目の前に差し迫ったやるべきこと」はなくなったわけではない。単に認識の問題なのだ。ちょっと立ち止まって認識のレベルを向上させてみる必要がある。

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| 方向性のある雑感 | 23:45 | トラックバック:0コメント:1
「夜の部」もタイムリミット
最近、朝起きて作業を行う事が多い(つまり朝型!!)が、これと同じことを夜もできないものかと考えてみた。朝できて夜できない最大の理由、それは夜には具体的なタイムリミットがないということだ。漠然としたリミットはある。しかし朝のように何時何分までには絶対に・・・ということがない。それゆえ、時間の使い方も無駄が多いのだろう。人間、時間がないということを認識すると爆発的に行動できる。実は「夜の部」も時間がないということを認識すべきなのだ。

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| 方向性のある雑感 | 23:48 | トラックバック:0コメント:0
DVD鑑賞記 『不都合な真実』
不都合な真実 スペシャル・コレクターズ・エディション不都合な真実
ドキュメンタリー映画、アル・ゴア 他 (2007/07/06)
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
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DVDレンタルが開始されたので早速借りてきて観た。米元副大統領アル・ゴアによるスライド講座をベースとし、地球温暖化について解説する内容となっている。アル・ゴアが何故この問題に取り組むこととなったのか、家族の不幸など個人的体験も含め、全世界で1000回以上行われてきたスライド講座をベースとしているため、その説得力は絶大だ。もちろん地球温暖化に対して懐疑的な姿勢をとり続ける政治家などへの反論・欺瞞への指摘も含まれている。

映画(DVD)を観た感想を以下にざっと。

・「地球温暖化」という名称より「CO2濃度の増加」という名称のほうがより本質を理解しやすいかもしれない。DVDの特典映像のなかで語られていたように、サンゴが死滅する原因について、最新の研究では「CO2濃度の増加」による影響が指摘されている。

・昔から社会全体として省エネルギーに取り組んできただけに、まだ日本は米国と比較するとまともなのだろう。この方向はさらに進めるべきだと思う。日本は自動車の燃費基準ではEUに抜かれるまで世界トップであった。フォードやGMと比較し、トヨタやホンダの日本メーカーを評価するデータも提示されていた。

・911およびそれ以降の米国の戦争について、現ブッシュ政権の様々な疑惑や石油メーカーとの癒着が語られているように、この問題についてもまったく同じ構造あることがわかる。ブッシュが僅差でゴアに勝ち、さまざまな疑惑が報じられた2000年の米大統領選挙の影響は世界に大きな負の影響を与えてしまったようだ。

・米国のハリケーン、オーストラリアのサイクロン、そして日本を含む東アジアの台風は同じものであり、それが近年巨大化し、頻発するようになった背景には地球温暖化の影響があるという。つまり、今年も来年もそしてそれからも、台風の影響は肥大化していくということだ。世界各地で最高気温も年々記録を破り続けているとのことで、我々の生活に目に見える直接的な形でも、この問題は大きな影響を及ぼしていることが理解出来る。巨大クラゲの大発生など、近年のさまざまな地球環境及び生態系の異常は地球温暖化=CO2濃度の上昇とつながっているとのことだ。東アジアにおいては中国の急激な経済成長などの影響もあり、もちろんCO2濃度の上昇だけではないだろう。しかし、これまで考えられなかった異常が頻発する時代に突入していることは間違いない。

・映画のエンディングでは個人の行動を呼びかけている。例えば、なるべく公共交通機関を利用しようとか、地球温暖化に取り組む政治家に投票しよう、ダメなら自分で立候補しようとか・・・アフリカのことわざに「何かを祈る時は、行動もすべし」というのがあるという。日本人である我々もアフリカの諺から学ぶべきではないか。

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| 未分類 | 19:06 | トラックバック:1コメント:3
マイケル・ムーア編 『華氏911の真実』
華氏911の真実華氏911の真実
戸根 由紀恵、落石 八月月 他 (2004/11/30)
ポプラ社
詳細


ドキュメンタリー映画『華氏911』の公式ガイドブックである本書は、映画のシナリオ、内容の裏付資料、観客・著名人からの反響、評論家による映画評、ジャーナリストによる映画の論点を掘り下げた記事の五部構成となっている。

観客・著名人からの反響では、共和党支持者であるが、映画を観てブッシュ大統領への評価が180度変わったというような手紙が多く掲載され、この映画の米国内での反響がいかに大きかったがわかる。監督のマイケル・ムーア自身が編集し、ブッシュ再選を阻止するために出版された本書であるが、そういったことを差し引いたとしても実際に映画の衝撃と影響力は相当なものであったと思われる。

ジャーナリストによる記事では、イラク戦争の大義名分となった「大量破壊兵器の存在」や「アルカイダとイラクの関係」がいかに根拠がなく、無理やりでっちあげたものであったかが記述されている。それらの情報をよく知りたいと思う人には格好の解説となるであろう。

本書を読んでいて一番びっくりしたことは、マスコミの影響力と選挙への無関心について、米国と日本があまりに似ているということだ。選挙の投票率が異常に低かったり、マスコミが翼賛的な報道しかしなかったりと、日本だけの特種な現象かと思っていたが、米国も同じような状況だということを知り、驚いた。しかし米国にはムーアがいて、映画も大ヒットした。日本で起こりうることだろうか???

関連記事
●リンク:マイケル・ムーア監督 『華氏 911』

| 911、そしてそれからの世界 | 22:00 | トラックバック:2コメント:0
別冊宝島編集部:編 『ライヴ・エイドの軌跡』
ライヴ・エイドの軌跡―80年代の音楽状況を検証する旅ライヴ・エイドの軌跡―80年代の音楽状況を検証する旅
(2004/12)
別冊宝島編集部

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1984年10月、エチオピア飢餓を伝えるテレビ番組をみて衝撃を受けたボブ・ゲルドフはすぐさま行動を起した。彼に賛同するミュージシャンたちによって、バンド・エイド~USA・フォー・アフリカ、そして1985年7月13日に開催されたライブ・エイドへと広がっていく。本書はそれから20年近く経ち、DVDが発売されたのに合わせ、当時を振り返りながらライヴ・エイドとは一体どういう意味があったのかを検証する内容となっている。

収録されている内容の中でも、『ミュージック・ライフ』誌1987年2月号に掲載されたボブ・ゲルドフのインタビューは特に印象深い。以下に抜粋しよう。

―「人を救う」と言うのは簡単なことですが実際に行動を起こすのは大変なことで、誰にでもできることではないと思いますが・・・・。

BG でもね、いざスタートしてしまえば、それほど大変なことじゃないよ。一番大切なのはスタートすることなんだ。あれもこれも考えるだけじゃなく、実際に始めることが大切なんだ。


何事かを実行するための核心を言っていると思う。思っているだけでは永遠に出来はしない。

人間にとって大切なことは2つあると思う。ひとつは「自分のやりたこいことをやること」もうひとつは「やらなくてはならないことをやること」だよ。僕にとって「やりたいこと」は「音楽」。そして「やらなくてはならないこと」は、人々や物事を少しでも良い方向へ向けるために努力することだ。僕は、このままこの2つのことを、やり続けていくだろう。

「やりたいこと」「やらなければならないこと」、それは人それぞれだと思うが、ゲルドフの言うとおり、どちらも大切なことだと思う。

日本人アーティスト・佐野元春のインタビューも印象深い。以下、佐野元春の発言

最初は自分の好きなミュージシャンが出演しているという興味から入っていったんだけれども、ライヴ・レコードを聴いたり、記録映画を観たりしているうちに、それだけではないことに気づいたんだ。ミュージシャンというのは、楽しい曲を書いたり、楽しい曲を歌ったりしているだけの気楽な人たちではなく、社会の不正に対して異議を申し立てたり、自分が正しいと信じるメッセージを発信したり、誰かをたすけるために行動したりする人たちでもあるのだ、ということを僕は知った。僕自身がミュージシャンになってからも、常にそうありたいと思ってきたし、いつも自分ができることをやってきたつもりです。

佐野元春が感じたことは、自分も過去のどこかで同じように感じたことだ。しかし本書を読んで思わざるおえないのは、佐野元春の発言とはうらはらに、政治的な発言がある種とタブーとなっている日本の音楽業界の貧困さというか、やはりずれた社会なんだろうな~と思わずにはいられなかった。どこがどうずれているのかは本書を読んで考えるべし。


| ジョン・レノンが殺された意味 | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
「もういい」状態からの回復(1)
神経を使うような作業をある程度の時間継続していると、精神的に疲れ、「もういい」状態になったりする。しかしそこで気持ちをリセットして再び取りかからなければならないことが多々ある。マラソンをしているようなものなのだが、体力的には問題ないのに、精神的に疲弊するというのは一体どういうメカニズムなのだろうか?

目の疲れ、脳の疲れもあるのだろうし、気持ち的に満腹というのもあると思う。疑問や興味が薄れるということもあるだろ。そんな時、根性で乗り切ろうとする方法もあるのだろうが、もう少し人間の摂理にかなった上手い方法はないかと考えたい。

(この話つづく)

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| 方向性のある雑感 | 23:59 | トラックバック:0コメント:0
「好き」と「ねばならない」
「好きこそものの上手なれ」・・・そのことわざどおり、好きなものであれば寝食を忘れて熱中し、その状態が続けばいつのまにか上達していたりするものだ。何かしらを上達したり、習得したり、継続させるための近道ということなのだ、一方で義務でやるような場合はそうはいかない。疲れる、進まない、続かない・・・と、かなり効率がよくない。

「好き」という感覚は絶対的なもののように思えるが、必ずしもそうでない場合が多い。興味がわいたり、疑問がわいたり、次の展開を見てみたくなったり、そんな状況があったりすると、それまで「好き」ではなかったことでも案外「好き」になったりするものだ。

義務の場合、まず「~しなければならない」という論理がある。おそらくその論理と「好き」という感覚は脳の異なる部分で処理されているのだろう。そのため、いくら「ねばならない」があったとしても、「好き」の感覚がなければ、はかどらないのだ。

「ねばならない」という外的要素の強い論理で進めることを意識するより、「好き」という内的感覚で進めていったほうが、効率がよく、結果として近道ということになる。そのあたりがきっとポイントなんだろうね。

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| 方向性のある雑感 | 23:06 | トラックバック:0コメント:2
ジョン・レノンが殺された意味(13) Wikipedia 日本語版の不可解な記述 2
(前回からの続き)

レノン殺害についてこれまで数冊の本を読んできたのだが、その後、改めてWikipedia 日本版の記述を見てみると、首を傾げざるおえないような記述が掲載されていることに気付く。以下がその不可解な箇所であり、いずれもマーク・チャップマンに関する説明だ。

1.”ハワイ・ホノルル出身”
2.”ボブ・ディランに対するストーキング行為”
3.”1975年のスタジオ・ライヴでは観客席にその姿を見せている”
4.”「マーク・チャップマンの単独殺害」として結論づけられている”

●参照元:Wikipedia 日本語版 ジョン・レノン-殺害

1について、チャップマンは当時ハワイに住んでいたが、ハワイには事件発生の年の3年前にあたる1977年から住み始めたのであり、出身地ではない。彼の生まれた場所はテキサス州であり、また、出身地ともいうべきなじみの土地はジョージア州アトランタだ。「ハワイ・ホノルル出身」という記述は事実誤認であろう。

2の「ボブ・ディランに対するストーキング行為」について、チャップマンの生きてきた軌跡を丹念に追ったジャック・ジョーンズの著書『ジョン・レノンを殺した男』、そしてCIA関与説として最も有名なフェントン・ブレスラーの著書『誰がジョン・レノンを殺したか』のどちらにも記載されてはいない。そのような事実が実際にあったのかどうかネットで調べてみたのだが、見つけることはできなかった。Wikipedia 英語版のレノン及びチャップマンに関する記述にも見つけることはできなかった。

●リンク:Wikipedia 英語版 マーク・チャップマン

米国で発生した事件にも関わらず、英語版のWikipedia にも書かれていないことが日本語版に書かれているということ自体、その記述の信憑性に首を傾げざるおえない。3についても同様だ。それらの事実があったとすればブレスラーやジョーンズはその著作で言及していることであろう。

もしかしたら2や3のような話は、過去に何らかの記事に掲載されていたのかもしれない。チャップマンについては、レノン殺害当時から、事実ではない多くの誤報がメディアを通して広まっていた。確認するすべはないが、2や3についてもそれらの誤報の一つではないかと思う。

1のような事実誤認や、2や3のような誤報と思われる情報については混乱した情報が精査されないまま残り続けた結果としてまだ釈明の余地はあるのかもしれない。しかし、”「マーク・チャップマンの単独殺害」として結論づけられている”というような4の記述については、たとえその後に”(しかしオノや息子ショーン、先妻との息子ジュリアンはそれを信用していないといわれている)”と記載されていたとしても、あまりに杜撰で不注意な記述と言わざるおえない。単に書いた人が勝手にそう結論づけているという解釈しかできないのだ。何故ならば単独殺害として結論づけられているという記述には主語がないのだ。一体誰が単独犯として結論づけたのか、驚くべきことに「誰」にあたる部分の記述がまったくないのだ。事実関係からしてもおかしい。チャップマンがレノンを殺害したのは1980年であり、チャップマンの裁判は翌年1981年に行われ、その刑が確定している。そしてCIA関与説でもっとも有名なフェントン・ブレスラーの著作が刊行されたのは1989年であり、裁判の後に数年経過して出版されているのである。ブレスラーのその見解に対して結論が出たなどという話は聞いたことがない。Wikipedia 日本語版の記述だと、ブレスラーの著作自体がこの世に存在していないような扱いなのだ。

同様にWikipedia 日本語版におけるマーク・チャップマンのページについても以下のように不可解で論理的とはいえない記述がされている。文章の前後関係を考えて読むと、文意がすり変わっていることに気づく。

”犯行当時、熱狂的なファンであると報じられ、世界的にその報道が定着してしまったが、さまざまな疑問が語られている。ジョン・F・ケネディ大統領に語られるような陰謀的暗殺説、CIAの関与した催眠術説などがあるが、現在は彼の単独犯行であると結論付けられた。”

●引用元:Wikipedia 日本語 マーク・チャップマン

では、英語版のWikipediaでは一体どう記述されているのか? ジョン・レノンのページについて当然のことながら、日本語版に記載されているような”単独犯行として結論づけられている”などという大きな反発と議論を呼ぶであろう記述はされてはいない。そこにはあくまでも事実が記載されているのみであり、日本語版に見られるような、顔の見えない誰かしらの不可解な見解などは掲載されてはいないのだ。

●リンク:Wikipedia 英語版 ジョン・レノン

そしてジャック・ジョーンズの著書を元にしていると思われる英語版のチャップマンのページでは、ブレスラーの説についても言及がされている。英語版のレノンのページについても、参考文献としてブレスラーの著作が掲載されている。


前回の話に関連することであるが、例えば「N郎♪」が自分のブログでレノン殺害にはCIAが絡んでいると結論付けた場合、それを読んだ人は「N郎♪」という人がそう考えていると理解するであろう。しかし、文責が誰か定かではなく、いかにも客観性を装っているように記述されているWikipediaについてはそういうわけにはいかないのだ。特に事実と顔の見えぬ誰かしらの見解が、ごちゃまぜに掲載されている日本語版Wikipediaについては要注意であり、参照する人は常にそのことに頭にいれておくべきだ。もちろんそのような記述を見つけたらWikipediaに反論を寄せたり、記述自体の修正をすればよいのだろう。しかし、それが出来る人はそれだけの時間がある人に限られている・・・・やはりおかしい。


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| ジョン・レノンが殺された意味 | 01:01 | トラックバック:0コメント:2
ジョン・レノンが殺された意味(12) Wikipedia 日本語版の不可解な記述 1
先日、静岡新聞の記者が宮沢元首相に関するエピソードをWikipedia より転用し、出展元を明らかにしなかったために謝罪したというニュースがあった。記者は転用したエピソードについて、広く世に知れわたっているエピソードだと思い込み、それが失敗の原因だったらしい。

ウラも取らず安直に記事を書いた静岡新聞の記者は論外としても、Wikipediaに書かれている内容を事実と思い込み、失敗するケースは多くあるようだ。米バーモント州のミドルベリー大学史学部では、Wikipediaからの引用を認めない措置を1月に決めた。日本史を学ぶ学生たちのテストの解答に、イエズス会が島原の乱を支援したという誤った回答が多く見られ、その情報元を探したところ、Wikipediaであることがわかったことがきっかけとなった。

Wikipedia、確かに便利ではあるが間違いも多い。「2ちゃんねる」であれば半分はガセネタと思って読むのだろうが、Wikipediaに関してはいかにも正しいことが書いてあるというような体裁のため、書いてあることが鵜呑みにされがちだ。そしてGoogleなどで固有名詞をキーワード検索をすると必ずWikipedeaがトップに登場してくることもあり、その間違いは広く世間に普及してしまうこととなる。

Wikipediaに書いてある間違いを2種類に分類すると、一つは単純なミスから来る間違いがある。書いた人のチェックが甘いとか、確認をしないまま書いているとかいうことなのだろう。具体的な例を挙げると、本ブログでも何度か感想を書いている「未来戦隊タイムレンジャー」について、第32話の脚本家の名前が間違っているというような類だ。Wikipediaには「小林靖子」と記載されているが、これは誤りであり「山口亮太」が正しい。その間違いに気付いたからよかったものの、気付かなければ間違った内容を元にして小林靖子やタイムレンジャーの感想を書いていたことだろう。

この類の間違いは迷惑ではあるが、シンプルでわかりやすくもある。しかしこういった単純なミスとは異なり、意図的な間違いや作為的な記述、またはそういった記述がWikipedeiaに転用され、さも事実のように掲載されていることについてはやっかいこの上ない。インターネットとはもともとそういう無責任な媒体であり、それがまた長所でもあるのだが、Wikipediaのように知名度とある程度の信憑性をもつようなサイトになると、新たな問題として考えなければならないのではないかと思う。

前置きはこのぐらいにして、本文の主題であるジョン・レノン殺害に関するWikipedia日本語版の記述について述べよう。その記述を読むと、これは一体どういうことだろうか?とか、そんな話聞いた事もないとかいうような記述がいくつかあることに気付く。ジョン・レノン殺害についてネットで調べようとしている人の多くはその記述を見ていることだろから、次回はその不可解な記述について言及することとする。

(この話つづく)

●リンク:Wikipedia 日本語版 ジョン・レノン-殺害


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| ジョン・レノンが殺された意味 | 23:02 | トラックバック:0コメント:0
ジョン・レノンが殺された意味(11) 自粛された「イマジン」
9.11当時、米国最大規模のラジオネット『クリア・チャンネル・ラジオ』はジョン・レノンの代表曲「イマジン」を放送自粛曲リストに掲載した。150曲にも及ぶその自粛曲リストは、発表したのと同じ日に破棄されたが、「国民を刺激しないため」というのが大義名分であった・・・。

この記事を読み、さもありなんと思いながら「イマジン」以外の自粛曲を調べてみたのだが・・・驚くべきことに、多くの洋楽ロックファンが知っている有名曲やアーティストの曲がずらりと並んでいるではないか。例えばレッド・ツェッペリンの「天国への階段」、ドアーズの「THE END」、ボブ・ディランの「Knockin' on Heaven's Door」(ガンズ・アンド・ローゼスのカヴァー版も含む)、ジミーヘンドリックスの「Hey Joe」、ストーンズの「Ruby Tuesday」、そしてサイモン・アンド・ガーファンクルの「明日へ架ける橋」・・・・もうメチャクチャだ。自粛曲リストを眺めたなら、全ての洋楽ファンは怒りの声を挙げることだろう。

●リンク:米国同時多発テロで放送禁止になった音楽リスト

レノンの「イマジン」のような国粋主義に反する政治的な曲が自粛されるのは意味がわからなくもない。が、サイモン・アンド・ガーファンクルの「明日へ架ける橋」のような勇気と希望を感動的に歌い上げた曲まで自粛リストに掲載されるとは・・・。これはつまり国家的な非常事態となった場合、言論の自由も表現の自由も、保守的などこかの誰かによって好き勝手に規制させられてしまうということを意味している。ロックを限りなく愛する音楽ファンは、自分らの楽しみが言論の自由と表現の自由の上に成り立っているということをよく理解すべきだ。ロックとはもともと反体制・反保守なスタンスから出発している音楽であり、ロックを愛するならば、言論の自由と表現の自由に対しても敏感であるべきなのだ。

「明日へ架ける橋」の自粛については以下のブログが詳しい
●リンク:多分、オトナです。 「奪ったのはテロリストか、政府か。」

自粛曲リストを注意深く見ると、唯一全曲が放送禁止に挙げられたアーティストがいることに気付く。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンだ。実は90年代後半、自分もレイジが大好きで、バンドでコピー演奏したこともあった。ツェッペリンに連なる完璧なハード・ロックの音楽性を持ちながら、マルコムXやムミア・アブ・ジャマールをジャケットに掲げるバンドの姿勢に、米国にはスゲーバンドがあるな~と思っていた。マイケル・ムーアの映画を観て、その表現を許容する米国の寛容さに驚いたというような意見をよく見かけるが、レイジの音楽は『華氏911』どころではない。・・・しかし9.11を境としてレイジはバンドとして不幸な時代を迎えることとなる。レイジについては別の機会にまた書くこととしよう。

「イマジン」に話を戻すが、1991年のいわゆる湾岸戦争当時も、この曲は英国BBCの自粛曲となった(67曲の中の1曲)。自粛期間は湾岸戦争開戦から戦争終結までにも及び、戦争を遂行したがる側がいかにこれらの曲を恐れていたかがわかる。9.11の場合に注目すべきは、「イマジン」が自粛されたということが逆に世界の注目を集める結果となり、そのような自粛ムードを打ち破るかのように、米国4大ネットワークによる犠牲者追悼チャリティ番組でニール・ヤングがこの曲を歌ったということだ。2006年のトリノオリンピック開会式ではピーター・ガブリエルが熱唱し、同じ年の紅白歌合戦では布施明も歌っている。

たった数分の音楽、30行に満たないこの歌詞が、平和を願う世界の人々に対してどれだけの可能性と力を与えたことか・・・この曲を想起するたびに、世界共通語としての音楽のもつ計り知れないパワーを感じずにはいられないのだ。


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| ジョン・レノンが殺された意味 | 02:06 | トラックバック:1コメント:0
中日新聞・東京新聞取材班 『テロと家族』
テロと家族 テロと家族
中日新聞東京新聞取材班 (2002/09)
角川書店

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最近読んだ中で最も重く、そして辛い内容であった。本書をめくるたびに鎮痛な気持ちとなり、深刻な気持ちにならざるおえなかった。しかし本書がより多くの人に読まれることを切に願う。

9.11米中枢テロの犠牲者となった被害者家族、そしてそこから派生していったアフガニスタン空爆、パレスチナ、イスラエルと、家族を殺され、絶望的な状況のまま人生を破壊されていった多くの家族の悲しみと怒りの声を取り上げていったものだ。2002年に中日新聞・東京新聞に連載された内容に加筆されたもので、連載当時の反響は大きかったという。

日本編、ニューヨーク編、アフガン編、中東編の四部構成となっている。9.11の直接の犠牲者となった日本人家族、逆に9.11から派生したヘイトクライムにより一家の大黒柱を殺された米国のパキスタン人家族、米国の空爆により、家族の大半を失い、五体を欠落されて残されたアフガニスタンの家族、タリバンの兵として殉教者攻撃に向かう息子を持つ家族、9.11の容疑者とされながら消息を絶った息子の無実を信じるアラブの家族、イスラエル兵の殺戮に目の前で息子を殺されたパレスチナの家族、そして最後は逆に家族を殺され、日々怯えて暮らすイスラエルの家族・・・。

敵・味方、殺す側の国・殺される側の国といった枠組みを超え、家族の大切さ、家族の絆は変わることがない。9.11にWTCに飛び込んだジェット機の乗客として、妹と母を失った米国の家族の次の言葉がすべてを言い表していると思う。

「私が一番愛し、信じているのは家族です。テロリズムは、家族の愛までは壊せない。そしてテロリストにも、アフガニスタンの犠牲者にも、みんな家族がいる。彼らだってそれぞれ家族の一員だと気づいたんです」

本書を刊行した中日新聞・東京新聞取材班には最大の賛辞を贈りたい。このような企画、取材こそが本来のジャーナリズムのあるべき姿ではないかと思うのだ。日本のジャーナリズムが死に絶えたわけではないということを雄弁に物語っていると思う。


| 911、そしてそれからの世界 | 23:59 | トラックバック:2コメント:2
久間防衛相の発言を非難する政治家たちの欺瞞性
久間防衛相の原爆投下に関する発言が大きな話題となっているが、正直、これまで原爆投下に関する発言がこれほど話題になったことがあっただろうかと首を傾げずにはいられない。

「しょうがない」といった発想は非難されてしかるべきであろう。核兵器の使用は人類に対する犯罪だという考え方にも同調できる。しかし、今、久間防衛相を声高らかに非難している与野党の政治家について、防衛相を非難するだけの高尚な理念を果たしてどれだけ持っているのだろうかと疑問を抱かずにはいられないのだ。

その一例がイラクに対する米国の劣化ウラン弾使用だ。いわゆる湾岸戦争当時からの劣化ウラン弾使用により、イラクは未曾有の放射能汚染にさらされている。今、久間防衛相を批判している与野党の政治家たちは米国のその人類に対する犯罪行為に対し、果たしてどれだけの批判の声を上げてきたのだろうか。

核兵器を広島と長崎に投下したことは非難するが、イラクに使用することについては黙認するというのでは、その非難は核廃絶の理念とは相容れないものであると言えるだろう。現首相らが久間防衛相を批判している光景は日本の政治家の欺瞞と滑稽さの象徴に思えて仕方がないのだ。いい加減にしろと。

本当に核廃絶を願っている人たちは広島への犯罪も、イラクへの犯罪も同じ問題として捉えている。例えば以下のサイトのように。

●リンク:NODU ヒロシマ・プロジェクト

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ポケモン人気とゲキレンジャー&電王の低落
今日のテレ朝ヒーロータイムは朝からゴルフだった。確か前々回もゴルフで潰れてがっくり・・・というよりテレ朝の番組編成にブーブー言っていたが、そうなると当然子供たちは裏番組にチャンネルを回すこととなる。関東ではもちろんテレビ東京のポケモンサンデーだ。で、ポケモンサンデー、意外に面白いねということになると今年はただでさえポケモン人気が圧倒しているのに、戦隊&ライダー人気に最期のとどめを刺すようなことに・・・。

ポケモンサンデーを最期まで観て、チャンネルをテレ朝に回すと、なんと今日はプリキュア5をやっているではないか・・・プリキュア5は正当派路線を行っていていいとこ突いているような~と思いながら観終わり、ふと思って、ネットの番組表をみたところ、電王もしっかり放映されていた・・・頼むよテレ朝。

子供の視聴者を完全に無視したテレ朝の番組編成はここではおいておくとして、少なからず戦隊もライダーもいい加減ヤバイ状況なんではないかと思わずにはいられない。今年はポケモン映画の10周年記念で、ポケモン人気が半端ではない。夏のボケモン映画は2週間後に公開されるが、この調子では戦隊&ライダーの映画は興行的にボロボロなんじゃないかと危惧せずにはいられない。昨年はまだ戦隊30作記念で、各種イベントが盛りだくさんであったが、それでもポケモンに負けていたのに、今年は更に・・・

スーパーの子供のお菓子コーナーでは戦隊&ライダーは消滅状態に近く、安売りカゴに追いやられ、その分ポケモン関連のスペースが大幅に増えて幅を利かせているという。バンダイもポケモンキャラクターの復刻版を出しているらしい。幼稚園でもゲキレンジャーのキャラクターを身に着けている子供は圧倒的少数らしく、2年前のマジレンジャーのころとは大違いらしい。ツタヤに行けば過去のポケモン映画のDVDは1作品を5つぐらい置いているにもかかわらず、すべて貸し出し中。一方でタイムレンジャーのDVDは一巻も借りられておらず。さすがにマジやデカは借りている人がいるようだが・・・。こういった例を挙げると枚挙にきりがない。

圧倒的なポケモン人気に対抗して東映がどういった戦略を打ち出してくるのか興味あるところだが・・・昨年からのちぐはぐな東映の戦略を考えると、かなり厳しいものがあるように思う。一戦隊ファンとしてなんとも嘆かわしい限りだ。


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秋葉原秋田犬、越谷アビーロード他、都内、埼玉のライブハウスにてソロライブ展開中。他にロックバンド・アウフヘーベンのボーカリストとして活動。レギューラー番組、ぷち FM897 すみだリヴァー 毎週木曜 22:00~『N郎♪ ON AIR ラベンダーな夜』
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