カルカンエコー出演のライブに絡めて過去に何度か紹介したことがあるが、JR渋谷駅を降りて、国道246号線の歩道橋を渡り、桜丘方面へ坂道を歩いていくとアコースティックギターのライブを中心とした老舗ライブハウス、アピアがある。「THE STALIN」の遠藤ミチロウが定期的にライブをやっていることでも有名だ。

●リンク:渋谷アピア
本日のお目当ては大竹正典。大竹さんの前に出演した3人編成のバンド・INDIGO BLUSE AND THE MUSIC SUNS もセンスあるサウンドを聴かせてくれていたが、ここアピアでは、前衛芸術的な内装に見合い、決して媚びた音楽ではなく、さすが東京・渋谷と思わせられるような個性あふれるアーティストと出会うことが多い。
本日二番手に出演した大竹さんは、昨年2月に初めて観た時とは異なり、アコースティックギターで演奏をしていた。マイナー調の最初の曲を聴きながら、ああ~あの時演奏していた曲だと前回観た時の演奏を思い出した。確かその時はカルカンエコーのベストパフォーマンスを観たライブであったが、大竹さんの曲も覚えていた。一番最後に出演し、エレキギターで弾き語りをしていたと思う。

昨年観た時の記憶でだいたい曲調の予想はついたが、その先入観は3曲名で裏切られることとなった。彼がバイクに乗っていることは知っていたが、まさにそんなバイクで走っているような開放感と疾走感あふれる曲で、おお~、いい曲書くじゃん!!と曲のセンスのよさに思わず聴き入ってしまった。一度聴き入ってしまうと聴き方も変わってゆくもので、後続の曲についても、作曲のセンスのよさに可能性を感じることが出来た。バンドを意識した曲調であると推測は出来たが、ギター1本でも音楽性は充分に表現されていると思う。ライブ後、大竹さんとは演奏やその周辺についてざっくばらんにいろいろ話をしたのだが、後はいかにふっ切れるか、N郎♪的にはそんな評価であった。次のライブではよりいい演奏をしてくれるのではないか、それにより更に新しい展開が待っているのではないかと思う。
●リンク:matatabi junkie 大竹正典 HP|ブログ
その大竹さんから、(N郎♪が)アピアに行く時は対バンに当たりが多いと言われたことがあるが、その日もジンクスは当たった。ここアピアでは目が点になるようなスゴイアーティストと出会うことがある。今回はアサダマオだ。
演奏前に一言話した声を聞いて只者ではないことに気付いた。演奏を聴き、やはり只者ではないことを知った。確か一曲目は「犬になる~ロッキーのテーマ~」ではなかったか。ポップスの発声というより、どちらかといえばクラッシック寄りな発声で、流れるような日本語を歌い、最初は日本語であることが認識できないくらい音楽的であった。

唐突で言葉数も少ないが、落ち着いたMCからも只者ではない様子が感じ取れた。8月に兵庫県尼崎から上京してきたばかりだという・・・東京という街は東京区のみならず、全国からツワモノが集まってくる全国区の街でもあり、彼女もそんなアーティストの一人だ。現在複数のライブハウスで精力的にライブを行っている。ここアピアでは8月にオーディションを受けて出演しはじめたばかりなのに、大晦日紅白歌合戦を放送している時間帯に、大御所達にまじって年越しライブにも出演する。同時にMCの中では、このまま東京での生活に疲れ果て、呑み込まれていってしまうのかといったようなアーティストとしての不安も語っていた。リアリティーあるMCではないか。
アサダマオの芸、そして過去に同じように衝撃を受けたアーティストの芸を考えるにつけ、そこには共通点がある・・・圧倒的な個性だ。自らの芸風に対して決して媚びを感じさせず、これで行くんだという確固たる自信があって、そこには確かな技術、特に確かなヴォーカルがあるのと同時に確かな詞がある。実力に裏付けられた個性は観客に対して圧倒的な説得力を持ち、スゲ~と驚嘆せずにはいられない。その個性が万人に広く受け入れられるかどうか、確かなことは言えないが、しかし、現時点の世の趨勢に媚びるのではなく、逆に世の流れを引っ張っていくような、そんな可能性を感じざるおえないのだ。
アサダマオという名前はフィギアスケートの浅田真央と同姓同名という。そんな彼女から買ったCD「朝焼けマンション」に収録されている「父の歌」を聴き、その歌詞を読みながら、彼女のアーティストとしての覚悟の片鱗を知ったように思う。その強力な個性、そしてその実力の背景には、一人の人間としてこれまで生きてきた道のり、その中でのさまざまなと体験と想い、そして覚悟がある。その想いと覚悟に対してどれだけ真摯に、どれだけ誠実に努力をしてきたのか・・・アーティストとしての価値はそんなところで決まるのだと思う。
CDの出来のよさやアピアでの扱いを見るにつけても、彼女の芸に接した人たちは、恐らくそのズバ抜けた才能に普通ではないものを感じたのであろう。人は開花前の超越した才能と出合った時、その可能性を直感的に知り、無意識のうちに応援したくなってしまうものなのかもしれない。大竹さんが自分のブログの中で指摘しているように、確かに「ドライフラワー」はイイ。
CD最期の曲「笑えばよろしい」を聴きながら、自分が彼女について書いてきたこの文章がまったくズレていないことを確信した。その歌詞の一節を紹介する。
「人は笑われるために 生まれてきた訳じゃないが しかし笑われぬように生きるのとは また少し違うのです」(詞・アサダマオ)
この一節を切り取っただけでも彼女の才能をわかってもらえたと思う。そしてその歌を聴いたなら、ズバ抜けた才能は詞ばかりではないことを知るはずだ・・・彼女のブレイクはもはや時間の問題なのかもしれない。
●リンク:アサダマオ HP|ブログ 速報アサダマオ(大好評日記)

●リンク:渋谷アピア
本日のお目当ては大竹正典。大竹さんの前に出演した3人編成のバンド・INDIGO BLUSE AND THE MUSIC SUNS もセンスあるサウンドを聴かせてくれていたが、ここアピアでは、前衛芸術的な内装に見合い、決して媚びた音楽ではなく、さすが東京・渋谷と思わせられるような個性あふれるアーティストと出会うことが多い。
本日二番手に出演した大竹さんは、昨年2月に初めて観た時とは異なり、アコースティックギターで演奏をしていた。マイナー調の最初の曲を聴きながら、ああ~あの時演奏していた曲だと前回観た時の演奏を思い出した。確かその時はカルカンエコーのベストパフォーマンスを観たライブであったが、大竹さんの曲も覚えていた。一番最後に出演し、エレキギターで弾き語りをしていたと思う。

昨年観た時の記憶でだいたい曲調の予想はついたが、その先入観は3曲名で裏切られることとなった。彼がバイクに乗っていることは知っていたが、まさにそんなバイクで走っているような開放感と疾走感あふれる曲で、おお~、いい曲書くじゃん!!と曲のセンスのよさに思わず聴き入ってしまった。一度聴き入ってしまうと聴き方も変わってゆくもので、後続の曲についても、作曲のセンスのよさに可能性を感じることが出来た。バンドを意識した曲調であると推測は出来たが、ギター1本でも音楽性は充分に表現されていると思う。ライブ後、大竹さんとは演奏やその周辺についてざっくばらんにいろいろ話をしたのだが、後はいかにふっ切れるか、N郎♪的にはそんな評価であった。次のライブではよりいい演奏をしてくれるのではないか、それにより更に新しい展開が待っているのではないかと思う。
●リンク:matatabi junkie 大竹正典 HP|ブログ
その大竹さんから、(N郎♪が)アピアに行く時は対バンに当たりが多いと言われたことがあるが、その日もジンクスは当たった。ここアピアでは目が点になるようなスゴイアーティストと出会うことがある。今回はアサダマオだ。
演奏前に一言話した声を聞いて只者ではないことに気付いた。演奏を聴き、やはり只者ではないことを知った。確か一曲目は「犬になる~ロッキーのテーマ~」ではなかったか。ポップスの発声というより、どちらかといえばクラッシック寄りな発声で、流れるような日本語を歌い、最初は日本語であることが認識できないくらい音楽的であった。

唐突で言葉数も少ないが、落ち着いたMCからも只者ではない様子が感じ取れた。8月に兵庫県尼崎から上京してきたばかりだという・・・東京という街は東京区のみならず、全国からツワモノが集まってくる全国区の街でもあり、彼女もそんなアーティストの一人だ。現在複数のライブハウスで精力的にライブを行っている。ここアピアでは8月にオーディションを受けて出演しはじめたばかりなのに、大晦日紅白歌合戦を放送している時間帯に、大御所達にまじって年越しライブにも出演する。同時にMCの中では、このまま東京での生活に疲れ果て、呑み込まれていってしまうのかといったようなアーティストとしての不安も語っていた。リアリティーあるMCではないか。
アサダマオの芸、そして過去に同じように衝撃を受けたアーティストの芸を考えるにつけ、そこには共通点がある・・・圧倒的な個性だ。自らの芸風に対して決して媚びを感じさせず、これで行くんだという確固たる自信があって、そこには確かな技術、特に確かなヴォーカルがあるのと同時に確かな詞がある。実力に裏付けられた個性は観客に対して圧倒的な説得力を持ち、スゲ~と驚嘆せずにはいられない。その個性が万人に広く受け入れられるかどうか、確かなことは言えないが、しかし、現時点の世の趨勢に媚びるのではなく、逆に世の流れを引っ張っていくような、そんな可能性を感じざるおえないのだ。
アサダマオという名前はフィギアスケートの浅田真央と同姓同名という。そんな彼女から買ったCD「朝焼けマンション」に収録されている「父の歌」を聴き、その歌詞を読みながら、彼女のアーティストとしての覚悟の片鱗を知ったように思う。その強力な個性、そしてその実力の背景には、一人の人間としてこれまで生きてきた道のり、その中でのさまざまなと体験と想い、そして覚悟がある。その想いと覚悟に対してどれだけ真摯に、どれだけ誠実に努力をしてきたのか・・・アーティストとしての価値はそんなところで決まるのだと思う。
CDの出来のよさやアピアでの扱いを見るにつけても、彼女の芸に接した人たちは、恐らくそのズバ抜けた才能に普通ではないものを感じたのであろう。人は開花前の超越した才能と出合った時、その可能性を直感的に知り、無意識のうちに応援したくなってしまうものなのかもしれない。大竹さんが自分のブログの中で指摘しているように、確かに「ドライフラワー」はイイ。
CD最期の曲「笑えばよろしい」を聴きながら、自分が彼女について書いてきたこの文章がまったくズレていないことを確信した。その歌詞の一節を紹介する。
「人は笑われるために 生まれてきた訳じゃないが しかし笑われぬように生きるのとは また少し違うのです」(詞・アサダマオ)
この一節を切り取っただけでも彼女の才能をわかってもらえたと思う。そしてその歌を聴いたなら、ズバ抜けた才能は詞ばかりではないことを知るはずだ・・・彼女のブレイクはもはや時間の問題なのかもしれない。
●リンク:アサダマオ HP|ブログ 速報アサダマオ(大好評日記)