1/26 西荻窪・奇聞屋 トルコ&ギリシアの伝統曲と創作オリエント音楽 ~ 大平清&橘美果ライブレポ
土曜日夜、西荻窪・奇聞屋での、サズ奏者・大平清の定期ライブへと足を運ぶ。学生時代から付き合いのある大平は、ここ奇聞屋で毎回ゲストを迎えて定期ライブを行っている。その日はフルート奏者・橘美果さんとの共演だった。橘さんとの共演は主に奇数月の第4土曜日に行われていて、再来月の3月にもこのコンビのライブは行われる予定だ。
●リンク:ライブスペース奇聞屋奇聞屋について、今回はじめて足を踏み入れたのだが、ライブハウスというより雰囲気のいい喫茶店のような場所で、新しくはないが、内装と照明がセンスあふれ、かなり落ち着ける場所であった。BGMには弦楽器の民族音楽が流れていて、隠れ家的雰囲気とマッチしていた。
残念ながら昨年の川越ライブと同様、今回またもや自分の不手際で写真撮影することができなかったのだが、次回奇聞屋に行く時は必ず写真を撮影してくるので、その雰囲気のよさを見ていただきたい。奇聞屋ホームページの写真ではわかりづらいのだが、照明を間接照明にしたときの雰囲気のよさは、ライブがなくとも足を運びたくなるような感じのよさだ。
大平のサズの演奏についてはこれまで何度か足をはこんだことがあるが、フルートとのコラボレーションを聴くのは今回はじめて。
フルート奏者・橘美果さんは4歳よりピアノ、11歳よりフルートを始め、琴や尺八、作曲・編曲などに才能を発揮しながら2004年12月にジャズ・フルート奏者としてプロデビュー。出産のため一時期活動を休まれていたこともあったが、現在は「子供と一緒に楽しめるジャズライブ」を提案し、童謡やポップスなどをジャズ風にアレンジして活躍中だ。詳しくは橘美果さんのホームページを参照していいただきたい。
●リンク:くまがいみか(橘美果)のホームページ小学生のころ自分はトロンボーンを吹いていて金管楽器とは縁あった。しかし、木管楽器とはあまり縁がなく、生演奏に接する機会もそうなかった。そのため今回真近でプロフェッショナルなフルート演奏を聴き、その息づかいに感激。木管楽器は恐らくボーカルと同じで、息のコントロールに音楽としての命がかかっているのだと思う。橘さんのフルートの音色、息づかいを聴いて、「ああ~わかる・・」そう思った。
大平のサズ、ウドーとのマッチングも絶妙で、弦楽器の音としてのソリッド感と木管楽器の音の柔らかさは、絶妙なコラボレーションを生み出していた。
MCの中で大平は、幼少のころ、遊戯に首がひっかかった状態でぶら下がってしまい、死に直面した体験を語る。それに反応して橘さんも、
「私も、小さかったころ、船から海に落っこちてあわや死かというような体験をしました!!」 と、MCでも絶妙なコラボレーションを見せてくれた。真っ逆さまに海の中に落ちた橘さんの足をお父さんが引っ張り上げ、一命をとりとめたという。
お客さんは女性が多く、質高く落ち着いた演奏に満足げに耳を傾けていた。
・・・
ライブ終了後、橘さんと会話する。N郎♪にとって、フルートといえば・・・・ぐれたさんあたりはもうお気づきと思うが・・・橘さんに質問した。
「横溝正史の『悪魔が来たりて笛を吹く』、知ってます?」
「知ってます! 私も横溝正史大好きなんです!!」なんと橘さんも横溝正史の大ファンとのこと。昨年正月に放送されたフジテレビ稲垣吾郎の金田一ドラマ『悪魔が来たりて笛を吹く』で使われたあの曲について、素晴らしい曲であったと橘さんは絶賛していた。原作のトリックどおり、XXXな曲だったという(XXXはネタばれのため伏字)。
そして橘さんは、
「映画(東映1979年)の『悪魔が来たりて笛を吹く』観たいんですが、レンタルには置いてないんです・・・」と話したので、待ってましたとばかり、
「あの『黄金のフルート』最高に素晴らしい名曲ですよ!!」とN郎♪節炸裂。プロフェッショナルなフルート奏者と『黄金のフルート』の話しで大いに盛り上がり、大満足だった。
『愛のバラード』に並ぶ金田一映画の超名曲『黄金のフルート』について、書こう書こうと思いながら書いてなかったので、今度書くこととしよう。
●過去ログ:金田一耕助についてうんちく 映画&音楽・・・
ライブハウスを後にして、新宿へ向かう帰りの中央線を、大平そして橘さんと3人で待ちながら、橘さんの出産時の話を聞いた。出産後、女性は鬱に近いような精神状態になるというが、橘さんもまさにそのような精神状態になったという。そのため早く音楽活動に復帰したいと願望が先走ったが、体に無理が来て、やはり自然に任せるべきなんだと悟ったという。現在はご両親、配偶者さんの協力もあって、しっかり復帰出てきているとのこと。
橘さんの話を聞きながら、同じように出産のため音楽活動を休止した、才能ある一人の女性ソングライター・ボーカリストのことを思い出した。橘さんに彼女の話をしたところ、
「自分の音楽を待っている人がいるというだけで励みになるから、そう伝えてあげて・・・」と、助言された・・・俺もそう思う。
自分の音楽を待っている人が一人でもいれば、演奏する側は音楽を続けることができる。活動休止中の彼女のメールアドレスは既に無効となっていて、俺の声が届くことはない。しかし、いつかまた必ず復帰してくれるだろう・・・なぜなら彼女の歌を聴きたいと願う人は俺ばかりではないからだ・・・そう思いながらも、もしかしたら彼女のライブはもう二度と観ることは出来ないのかもしれない・・・とも思った。人それぞれ生活があり、誰もが東京で音楽活動を続けていられるわけではないという現実もあるからだ・・・しかし待ち続けたい。
新宿駅で橘さんとは別れ、楽器を置くため、大平と一緒に南口のトルコ中央アジア文化センターに立ち寄った。新宿駅南口から甲州街道を下る道はかつて歌詞にしたほどよく通っていた道であったが、何年かぶりで歩いた。代々木方面を見ながら街の様子に懐かしさがこみ上げてきた。帰りの電車の中では音楽活動について大平といろいろ話した。
いろいろと感慨深い夜であった。
●リンク:トルコ音楽・ウイグル音楽の演奏家 サズ奏者・ドタール奏者 大平 清のWebSite関連記事)
●過去ログ:11/4 トルコの伝統楽器とVOICE~福岡ユタカの世界 at 川越あけぼのホール