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で、前回記事続き。自分で書くって宣言しておいて、そのあと少し考えて、いろいろと歴史的事実を調べてみると、恐るべき事実にぶち当たり、愕然。

太閤秀吉が亡くなって(1598)、関ヶ原の合戦(1600)、徳川家康が征夷大将軍となって江戸幕府を開き(1603)、そして大阪冬の陣、夏の陣(1615)・・・豊臣家が滅亡。歴史の代表的出来事だけを並べてみると華々しい戦にばかり目がいきがちだけど、その過程にあった話を一つ一つ見ていくと・・・・ドス黒いというか、なんとも恐ろしいことばかり。

歴史事実や歴史人物への評価について、極論すれば、その時代に生きた人のことを現代の価値基準で評価すること自体は、あんまり意味がないのかもしれない。逆に歴史事実や歴史人物に対して、じゃあ、現代に生きるあなたはそれをどう評価するのかという、評価する人自体の価値観や人間性が問われているように思う。

歴史事実や歴史人物の評価の仕方によって、その人はどんな価値基準を持っていて、どんな視点の持ち主なのかが見えてくるからおもしろい。


先日、織田信長関連の本を読み返していて、びっくりするような記述に出会った。織田軍の甲州攻めによって、武田勝頼が滅亡した時のエピソードだ。

江戸時代中期に書かれた『常山紀談』によると、武田勝頼の首実検の際、織田信長は亡くなった勝頼を次のようにののしったという。

「勝頼よ、おまえの父の信玄が非義不道であったために天罰がくだってこのような哀れな姿となり果てた。信玄は上洛しようとしてついに志を果たせなかったが、その代わりにおまえの首を京都へ送ってやろう」

勝頼の首はその後、徳川家康のもとへ送られ、家康はわざわざ床几を立ってこれを出迎えて次のように述べたという。

「若さのために思慮を失い、惜しい命を散らしてしまわれた」

信長のエピソードはいかにも信長らしく、ありそうな話なんで、自分はこの話を事実だと思っていた。

しかし、『常山紀談』のように後世の人物によって書かれたものではなく、まさにその甲州攻めに参加していた大久保忠教の『三河物語』によると、織田信長は次のように、まったく逆のことを言ったという。

「勝頼父子の御しるし(首級)を信長の御目にかければ、信長ごろうじて日本にかくれなき弓取(武将)なれども運が尽きさせ給いてかくならせたまうものかなと仰せられ」

そもそも信長が首実検をした後、その首が家康の元へ送られるという話自体おかしいという意見もあり、『常山紀談』、メチャクチャではないだろうか。大河ドラマや歴史小説が、歴史事実を好き勝手に脚色しているのと同じような感覚なのかもしれないが、現代ではそれが史実と受け取られているから恐ろしい。

このエピソードに限らず、徳川家康関連の話を読むと、こんな眉唾モノの話ばっかりなのだ。徳川家康を徳がある大人物として描くことで、徳川幕府の正当性を主張する目的もあっただろうし、体制側であったであろう書き手自身を保身することにもつながった。そんなことのために、あることないこと書かれ、徳川の引き立て役にさせられてしまった側の人たちはたまったものではない。

そして、そんな徳川家康よいしょ史観の一番の被害者が、石田三成ではないかと思うのだ。家康による豊臣政権ぶん取りを正当化するためには、関ヶ原で破った石田三成を大悪人にしたてあげてしまうことが一番。徳川時代の歴史家も、体制を正当化するため、そして自己の保身のため、あることないこと石田三成の欠点や失敗をあげつらうことにいそしんでいった。

「日本書紀」を筆頭とし、歴史書とは勝者、征服者を正当化するために作られる。死人に口なし、敗者、征服された側は、いわれなき汚名を着せられたまま、現代までもその評価が続いている・・・ああ、なんとおぞましいことだろう。(まだまだつづくよ)



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関連記事
| 歴史ネタ | 02:35 | トラックバック:0コメント:4
コメント
どうも!monoです~
歴史なら、花の慶次が面白いですよ
天下1の歌舞伎者
秀吉、織田、徳川、上杉、伊達
のホトンドに関わっている人物
知っている人は少ないですが、結構色々なことをしているみたいですよ
2009.08.07 Fri 08:25 | URL | mono
私も石田光成派ですよ。
知的で冷静沈着でいて、ちゃんと血が通っているバランスの良い人物だと思います。
最期が可哀そうな分、擁護したくなります。
私は家康も好きなので家康贔屓の書物を読んでいますが、
全然、光成に非が見当たらないんですよね。
今の政治もどうなんでしょうか?
あらゆる面を精査して清廉潔白順にランク付けして
「いい人党」「ふつうの人党」「汚い人党」なんて枠組みにしたら
けっこう「汚い人党」が一番仕事ができたりしてv-8
2009.08.07 Fri 13:18 | URL | 茶葉ママ
いつも拝見させていただいております。

確かに石田三成は勝者の筆によって曲げられた人物であり、その功績をたたえられず、悲運な武将ですね。

せめてもの救いは、徳川光圀が『桃源遺事』において、「石田三成は憎い人物ではない。人はそれぞれ、その主君に尽くすのを義というのだ。たとえ敵でも、君のために尽くした者を悪く言うのは良くない。君臣ともそう心がけるべきだ」と言ったとされてます。

私もちょくちょく歴史を題材にしております。しばらく前に桐野利秋を取り上げたことがあります。
これからも歴史コメントを楽しみにしております。
2009.08.07 Fri 14:46 | URL | 測量屋
お疲れ様です!
とても楽しいブログですねっ!
これからも頑張って下さい。(応援)
2009.11.04 Wed 10:40 | URL | 日本の歴史人物オタク
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秋葉原・秋田犬など、東京、埼玉中心に活動中。他ロックバンド・アウフヘーベンのボーカリスト。レギューラー番組、ぷち FM897 すみだリヴァー 隔週月曜22:00~『N郎♪ MusicHourハイビスガーデンスペシャル』
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